日本の支援のおかげで1000万人が学校へ通えるように
アフガニスタンがこの20年間でかなりの復興を遂げられたのは憲法のおかげだけではありません。世界各国の支援のおかげで、ハード、ソフト面でのインフラがかなり整いました。特に約7000億円もの資金を支援してくれた日本には感謝の一言です。
日本の支援プロジェクトは、主に教育、医療、農業、インフラ分野でした。
その中で、最もありがたいと思ったのが教育です。第一次タリバン政権時代、激しい内戦で学校が破壊されたり、そもそも教育への関心が低かったことから、就学児童数は100万人未満でした。これは、人口比にしてはかなり少ない。さらに、生徒全員が男子でした。
JICAをはじめとする日本は、800以上の学校の建設・修復を進め、さらに1万人もの教師を育成したのです。この支援のおかげで、直近では約1000万人が学校へ通うようになりました。生徒のうち約40%が女子です。公教育を受けた女性は、次々に社会へ進出しました。憲法には職業選択の自由が保障されていたので、閣僚、大使、軍のパイロットや警察官など、さまざまな職業で活躍していました。
テロに倒れた中村哲さんはアフガン国民のヒーローだった
医療分野では、基礎医療を受けられる国民の割合が20年で、8%から57%に増大。病院の建設や改修も進みました。日本の支援によって、カブール市内に建てられた「アフガン・日本・感染症病院」は、アフガニスタンで唯一の感染症に特化した優れた病院です。今回のコロナ禍においても感染患者の治療にあたり、多くの命を救っています。この病院がなければ、カブールでコロナウイルスによるパニックが起きていたかもしれない。感謝してもしきれないです。
アフガニスタンは食文化が豊かな場所でした。しかし、長年の戦争で農地は荒れてしまった。日本が米や小麦の栽培方法を指導し、品質の良い種子も提供してくれたことで、穀物の生産量が増えて輸出をするまでになりました。
中村哲さんを思い出してください。医師である彼は診療所開設をきっかけにアフガニスタンに入り、病人が絶えない原因は水にあると考えました。地元の人と協力して1600本の井戸を掘り、用水路をひき、その効果で荒地が田畑に変わっていきました。彼は汚職には目もくれない純粋な人で、アフガン政府と国民にとってのヒーローです。2019年12月にテロによって亡くなったのは、本当に残念でした。
物流は社会の血液といいますが、その血液が走る道路の舗装でも日本が大きく貢献しています。カブールにおける幹線道路のみならず、地方でも道路の整備を進めました。タリバン時代は16キロメートルしかなかったといわれるアスファルト道路が2万キロメートルほどになったのです。