1つひとつ積み上げたものが崩れてしまった

その男は、春分の日に1人でやってきた。前日には、仲本の携帯に電話があった。「必要なものは何か?」「被災された方への、炊き出しの材料が底をついております。肉や魚があればと思います」「そうか、わかった」。

男は羽田から山形空港に飛び、市内のスーパーで食材を購入する。肉に魚介、野菜、味噌に醤油。これらをタクシーに目一杯に詰め込み、名取市にやってきたのだ。

仲本が工場でタクシーを迎えたとき、食材の間から降りてきた。秘書も伴わずにやってきたその男は寺坂史明。サッポロビール社長である。寺坂は営業、企画、人事、宣伝と多彩な経歴を持つ。とりわけ、豊川悦司と山崎努を起用したビールのCM「温泉卓球」は、寺坂の名を一躍有名にさせた。出世しても威張ることもなく、何よりフットワークは相変わらず軽い。工場では励ましの挨拶だけすませると、仙台市の営業現場へと向かっていった。

立ち入り禁止区域が設定されるなど、工場はそれなりに被害を被った。だが、仕込み釜、発酵釜、貯酒タンクには大きな被害はなかった。各部署からの応援要員にも助けられ、思ったよりも早く復旧が見込めそうな運びとなった。

そんな矢先、4月7日の午後11時32分頃、宮城県沖を震源とするM7.1の大きな地震が再び発生した。

「うまくいっていただけに、本当にガックリしてしまいました」


サッポロ黒ラベルが充填され、印字機へと流れていく。このラインがある部屋も天井が落ちてしまうダメージを受けた。

ビール工場は、巨大な装置群で構成されている。停電状態から電気インフラが回復しても、すぐに装置への通電はやらない。電気を通しても問題ないのか、装置の小さなところをチェックしていくのである。文字通り、一つひとつ、積み上げていくような確認作業が続くのである。

仙台工場は当初の見通しよりも早く、確認が進んでいた。ところが、7日の地震で「もう一度最初から始めなければならなくなりました。自然災害は、どうすることもできません」と仲本。

「早く通常稼働させたい」という気持ちは誰もが持っていた。しかし、焦らずに、もう一度積み上げていくしかなかった。

当初、ゲストハウスに宿泊した人、炊き出しのサービスを受けた人たちから、仙台工場へのお礼がいくつも届いていた。市内の各避難所向けに、仙台ビール園は毎日500食分を供給した。6月半ばまでで、累計では5万食。

そのビール園は、4月8日に営業を再開する。地元の食材をふんだんに使ってだ。工場の復旧はやり直しとなったが、敷地の入り口のレストランが開いたのは、仲本をはじめ工場従業員の励みとなる。

5月2日には缶にビール類を詰める充填・パッケージングラインが稼働を開始。天井からほとんどのパネルが落下したが、復旧は早期に実現できた。5月中には、心臓部である仕込み設備も再稼働。6月末には震災後に仕込んだ「初仕込みビール」が発売になった。

「停電で酵母がダメになりましたから、千葉工場からローリーで運んできたのです。初仕込みビールはオールサッポロの商品です」

不思議だったのは、震災前までは凡庸だったのに、3月11日以降の有事となったとたんに高いパフォーマンスを発揮する社員が複数いた点だった。30キロの道のりを自転車で飛ばして出社してくる従業員もいた。いろいろなことが発生するのだが、仲本はいましみじみと話す。

「やはり、ビール類をつくってこその工場です。ものをつくれる喜びは、何にも代えられません。需要に応じられる生産を果たし、地域の経済復興にも貢献していきたい」

震災に見舞われながら、新しい現場力がフル稼働を始めた。

(文中敬称略)

(的野 弘路=撮影)