コロナより深刻な日本人に蔓延する感染症

ここで「実は日本人はコロナ以上に怖い感染症に罹患していたのでは?」と一つの仮説を述べてみたいと思います。

それはどんな感染症かと言うと、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」という宿痾しゅくあではないか、と。

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これらが顕著になった結果が積み重なったのが、このコロナ禍に開催されたオリンピックで、つまり、オリンピックはそのいびつな積み重ねが露見したキッカケなのではと。

「今だけよければいい」という考え方は人々にとても短期的な行動を促します。「自分さえよければいい」という捉え方が「他人のことを想像する」感受性を奪います。「カネさえ儲ければいい」という価値観は、公害を招き環境を破壊します。

実際、温暖化のあおりを食らったのが今大会におけるマラソンでしょう。当初東京で開催を予定していた時なぞは「沿道の店舗の入り口を開けっぱなしにしてクーラーの冷気を当てる」などという奇天烈なアイデアまで散見しました。「もう夏季オリンピックでのマラソン開催は不可能だ」という主張にもうなずけます。競歩と共に札幌に試合会場を移したのに、何人もの選手がリタイアしたのがその証拠かもしれません。

いま問題になって浮かび上がっていることすべてに通底するのが「いまだけ、カネだけ、自分だけ」ではないでしょうか。

分断や不寛容、ネットでのいじめや一斉攻撃、そして30年以上も続く景気低迷などの諸悪の根源は「いまだけ、カネだけ、自分だけ」だったのです。

いや、むしろ、昭和の高度経済成長期には、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」に基軸を置く生活様式は、欧米から輸入する形で定着した「個人主義」とも親和性があり、個々人の経済面での享楽という最大多数の最大幸福を可能にするいわば「優秀な装置」として機能していました。それぞれが自分のことだけきちんとやってさえいれば、自動的に安定的な収入を約束してくれたはずのこの「推奨された行動様式」が、いまや逆に人々を分断させ、過酷な環境に追いやってしまっているのではないでしょうか?

情けが回りまわって日本を、世界を救う

では、このコロナ禍が続くオリンピック後の日本人は、このような「精神的感染症」に対して、一体どうすればいいのでしょうか?

「押してもダメなら引いてみよ」です。

「今だけ、カネだけ、自分だけ」の真逆をひとまずやってみましょう。つまり「長期的に、お金もうけのことはひとまず置いて、他人様とのつながりを重んじる」という生き方です。

ここで、「佃祭」という落語をご紹介します。

あらすじは――佃の祭りを見に来ていた次郎兵衛さんという小間物屋の旦那が最終便に乗ろうとしていたところを若いおかみさんに止められる。聞けば、そのおかみさんが5年前に吾妻橋から身を投げようとしていたところを、5両の金をめぐんで救ってくれたのが次郎兵衛さんだったのだという。当初すっかり忘れていた次郎兵衛さんだったが、だんだん思い出してくる。おかみさんは「亭主は船頭ですから向こう岸までお送りします」といい自宅へ次郎兵衛さんを案内する。そしてその後、亭主が帰宅したのだが、亭主の口から出たのが「先ほどの最終便は転覆してしまって、誰も助からなかった」という驚愕の事実だった――。

落語にしては珍しいサスペンスっぽい展開ですが、この後は「次郎兵衛さんが死んでしまった」と早とちりする長屋の連中が葬式の準備をしたり、悔やみの席に惚気たりするバカバカしい落語らしい展開へとなってゆきます。

つまり、この落語は「情けは人の為ならず 巡り巡りて己が身のため」という、「人に情けをかけることは結果自分の利益になるんだよ」という「迂回生産的なメリット」のことを笑いと共に描いているのであります。時節柄もピッタリのこの落語の世界観にぜひ触れてみてください。