感染爆発と巨額の開催費用負担が残った
問題ばかりの東京オリンピックが終わりました。
前回(「酒を出す店は潰す」次々とヤバイ方針を打ち出す政府に失望した人に伝えたい事)このコラムで書かせていただきましたが、私は今回のオリンピックに関しては、新橋でアイリッシュパブを営む大学同期の親友K氏が新型コロナで亡くなり、彼が「都はアスリートの流す汗は高貴で我々飲食業者の流す汗は不潔とでもいうのか」という遺言のようなメッセージを生前つぶやいていたことから、開会式だけはネタ探しのために観ましたが、あとの競技については基本生中継の観戦はせず、ニュース速報や新聞で接するといういわゆる「喪に服す」形で接していました。
基本的に落語家になるような人間ですから、「感動」しやすい体質で、前回までのオリンピックはかなり熱狂したものでした。またプライベートでも、アテネ五輪自転車競技銀メダリストの長塚智広さんや北京五輪男子4×100mリレー銀メダリストの塚原直貴さんらとも個人的にも仲良くさせていただいていますので、アスリートに対して心底リスペクトもしています。
だからこそ今回は、最初の誘致段階から首脳部の裏の部分が目立ち、参加した選手や陰で支えるボランティアスタッフらの志の高さと尊さに泥を塗った形に見えてしまいました。いや、というよりは、「主催者側のダメな部分を、選手とスタッフの高貴さでごまかそうとしているような感じ」にしか見受けられなかったのです。
K氏が生きていたらきっと嘆いていただろうなという印象しか持てない大会でした。
新型コロナは誰の責任でもない天災です。不可抗力です。
が、取り消しはしましたが「自粛要請を遵守しない飲食店には金融機関に働きかけをする」などの西村大臣の発言、「頼みの綱のはずなのに供給が遅れているワクチン整備体制」などその後の政治の迷走ぶりというか後手後手感は明らかに人災そのものです。
こう思っているのは私だけではないはずです。自国開催で、金メダルラッシュなのにまったくと言っていいほど支持率が上がっていないのが何よりの証拠でしょう。
オリンピック終了後には、現実問題として喫緊の感染爆発真っ最中の新型コロナ禍が待ち構えています。そして長期的には、当初は既存の施設を使っての「コンパクト五輪」とまでうたわれていたものの、その実経費がかさみ数千億から兆単位もの負担を背負わねばなりません。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?