暑さも落語に学べば乗り切れる

最後に、厳しい暑さが続きますが、それを乗り越える知恵として、もうひとつ江戸の小噺を紹介したいと思います。

「おい、権助、呆れたよ。なんだいまのお前の挨拶は?」
「いや、隣の旦那様だ。おはようございますなんてえからな、ちっとも早くねえって言ったんだ」
「バカかお前は。まだ何か言っていたな」
「ああ、それから、お寒うございますなんてえからな、おらのせいじゃねえって言ったよ」
「なんてえ奴だ。おはようございますと言われたらおはようございます、と返すんだ。お寒うございますといわれたら『お寒うございますな、この分なら山は雪でございましょう』。言われた方は悪い気持ちはしない。『たまには遊びに来なさい』と言われてお茶の一杯、羊羹の一切れもごちそうになれるだろう」
「はあ、じゃあ何かね、おはようございます、山は雪だんべちゅうと羊羹が食えるかね」
「そういうわけじゃないが愛嬌がなくっちゃいけないよ」

小言を言われた翌日。

「権助さん、おはよう」
「ああ、おはようございます」
「お、返事するね、珍しいな。お寒うございますな」
「お寒うございますな。この分は山は雪だんべ」
「世辞がいいね。こっちでお茶でも飲むかい?」

評判がいいと当人も悪い気持ちはしないもんで、毎朝雪だんべ雪だんべやっていますが、そうそう寒い日ばかりは続かない。たまには暖かい日があるもんで。

「権助さん、おはよう。今日はなんだね、いつになくあったかいね」
「あったかいですな、この分じゃ山は火事だんべ」

立川 談慶『花は咲けども 噺せども 神様がくれた高座』(PHP文芸文庫)

ま、くだらない江戸小噺ですが、エアコンがない時代に、「暑いね」というと「暑いですね」と言いあって暑さを紛らわせたり、「寒いね」というと「寒いですね」と返すことで、心を温めたりしていたと想像します。つまり、コミュニケーションこそが、心のクーラーやヒーターだったのです。

当時の江戸っ子ったちは、いまの東京以上に密集していたはずの狭いエリアで、さらには身分制度もあり、いまの東京以上にストレスフルな日々を送っていたはずですが、苦労を分かちあったり、笑い話にかえることで、それを和らげていたのでしょう。日本人はこれから、オリンピックの後処理という難しい課題に取り組むことになりますが、それを乗り切りヒントもここらへんにありそうだなと思うわけです。

環境負荷の少ないこのエアコンを使って、「佃祭」でもYouTubeで聞きながら、暑くて厳しい夏を乗り切ろうじゃありませんか。

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