ゴミに埋もれていた「オレンジ色のアルバムと手紙」

引っ越しの日がきた。サービス付き高齢者住宅の若い介護職員たちが本棚や整理ダンス、机などをせっせと運び出してくれる横で、私は木村さんの身の回りの物をカバンに詰め、貴重品をまとめた。木村さんは椅子にぐったりと座っていた。

岸山真理子『ケアマネジャーはらはら日記』(三五館シンシャ)

6トンのゴミの片付けは午前2時に開始され、その日のうちに終了した。翌日、確認のために玄関の扉を開けた私は目をみはった。これまでゴミに覆われて見えなかった畳や板の間、テラスが本来の姿を現している。

汚れと埃がすっかり落とされ、拭き清められた部屋には、窓ガラス越しに陽光が射していた。玄関にオレンジ色のアルバムと手紙が置かれてあった。

遺品回収業者からの手紙は私宛で「木村さんにアルバムをお渡しください」と書いてある。アルバムを開いた。木村さんの娘と思われる女の子の写真が、1歳から1年ごとに26枚貼ってあった。その一枚一枚にボールペン書きで説明がついていた。

「パパ、元気でね。いつか会いたい」

《1歳 パパと別れて鳥取に来ました。2歳 チャボのピー子が妹でした。3歳 このころになると、『お友だちにはパパがいていいな。なぜ、梨紗にはパパがいないの?』と、お友だちの家から泣いて帰って来ました。4歳 さみしそうな目をしていました。》

木村さんの面差しを宿した梨紗さんは、育っていくにつれ、こぼれるばかりの笑みが美しさを増すようになっていった。

《21歳 短大を卒業して東京で就職しました。》

社会人になると、髪をばっさり切り、キャリアウーマンふうの女性に成長していた。「パパ、元気でね。いつか会いたい」との言葉でしめくくられている。

日付は1997年6月21日。アルバムの最後の日付から、この時点ですでに18年がすぎている。そしてこのアルバムもまたゴミの中に埋もれていた。一度も会うことなく、写真だけで娘の成長を見守ってきた木村さんにとってこの18年の歳月とはどんなものだったのだろう。

私はアルバムを持ったまま、しばらくその場に佇んでいた。

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