「首をくくって死ぬと言っています」

ケアマネジャーとなった私は、介護業界大手の株式会社を振り出しに、3カ所の居宅介護支援事業所で修業を積んだ。3カ所目の事業所は、「医療法人・タンポポ会」というリハビリを専門とする病院が母体になっていた。

3年間、「居宅介護支援事業所・タンポポ」で働いた。このころになると、ようやく一丁前のケアマネらしくなっていた。2009年4月、「タンポポ会」がM市役所から地域包括支援センター事業を委託されると、私は責任者に任命された。

私は事務所から近い距離にある県営とURの団地に毎日のように足を運んだ。団地からの相談は多かった。本人から直接、電話がかかってくることもあったが、地域包括支援センターの存在を知らない人はまず市役所に電話をかけ、相談する。すると市役所はこちらに連絡を寄越し、「ちょっと行って、見てきてください」と指示するのだ。

私たちは「センターは市役所の使いっ走り」と自嘲じちょうしていた。1月の終わり、午後4時をすぎていた。M市役所の介護保険課の係長からセンターに電話がきた。

「団地でひとり暮らしをしている73歳の木村隆介さんから市役所に電話がきました。首をくくって死ぬと言っています。家庭訪問して訴えを聞いてあげてください」

「死体を焼いて骨にして、姉に宅急便で送ってくれ」

市役所は「相談業務」を地域包括支援センターに委ね、委託費を支払う。私たちの給料は全部、この委託費から出ている。こうして市役所の下請けをしている限り、私たちは食いっぱぐれがない。持ちつ持たれつなのだ。

私は木村さんが住む棟に自転車を走らせた。インターホンを押すと、しばらく経って扉が開いた。「誰だ?」木村さんは陰鬱な目をして私を見据えた。ギスギスに痩せた身体に醤油で煮しめたような綿入れ半纏はんてんをはおり、ゆるんだラクダの股もも引ひきをはいていた。

「市役所の委託を受けている地域包括支援センターの職員です。岸山と申します」
「市役所に電話したら、さっそく来てくれたってわけか」

木村さんは私を部屋に招き入れた。廊下には新聞紙や雑誌、チラシの束、靴や雪駄、傘が積み重なっていた。ゴミの間を縫って歩く木村さんの足はふらついていた。2DKの部屋は足の踏み場もない。

足の踏み場もない部屋
写真=iStock.com/Yusuke Ide
※写真はイメージです

「俺は風呂場で首をくくる。俺の死体を焼いて骨にして、北海道の姉に宅配便で送ってくれねぇかい」
「それは市役所ではできません。私にできることをご提案してもよろしいですか」

綿埃でザラザラになっている畳に正座して、木村さんと向かい合った。