尾身会長は、新たな検査への投資をすると良いと述べています。全部税金です。私たち国民の自由は制約を受けたまま、意味のない検査に負債を広げる意見です。これでは、日本が滅んでしまいます。弱毒化し市中感染になったコロナのゼロを目指す予算を、がん治療や創薬、新規ワクチン開発などに投資する方が有益でしょう。

こういった人々が昨年から政府を動かし私たちの生活と経済を破壊してウイルスの実際の被害以上の人災になっていたのです。

個人の自由を犠牲にする必要はなかった

私たちは、公共の利益のため自分を抑えよく頑張りました。若者も他のために多大な犠牲をしいられました。こういったものを全体主義といいます。

全体主義が必要なときは、個を犠牲にするほど危機が命に切迫しているときに限られるはずです。ところが、高齢者にワクチン接種もすすみ重症者や死亡者が激減するにしたがい国民は冷静になりつつあります。コロナウイルスは海外に比べると小さな被害だったことを冷静に振り返れるようになりました。

私たち現場の人間は昨年からそのことに気がついています。日本の人々を破滅から守りたい一心で、私自身、プレジデントオンラインでコラムをつづってきました。たとえ「異端者」と言われようが、真っ暗闇に閃光弾をあげる気持ちで情報発信を続けてきました。

時間が経過して「異端」ではなかったことが明らかになったでしょう。全体主義的な施策を続けるべき危機が存在したのかまで危うくなってきました。その状況でさらに「行動制限だけに頼る時代は終わり」の発言です。

ゼロコロナは永遠に実現しない

人間は、不安になると権威にすがりたくなります。そして言われた通りにしていれば安全だと思って不自由でも、小さな安心と幸せを得るために「言いつけ」を守るようになります。

そして厳しい「言いつけ」があればあるほど頑張って守り抜き、より強固な安心を得ようとします。さらに権威者に指示されてもいないのに、違う行動を取ろうとする人々を罰するようにもなります。

これは為政者に支配され、利用される不幸のスパイラルです。

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「自分で考え自由を得て行動すること」は、少し勇気のいるチャレンジかもしれませんが不幸や破滅に陥らない大切なことです。

専門家会議や医師会、都知事のこれまでの認識や、私たちに課された制約が誤りであったことは明らかです。「ゼロコロナ」の世界も荒唐無稽のことであることが国民の多数意見になったのではないでしょうか。