官僚たちの疲弊、霞が関全体の弱体化、存在感の低下…
それを解き明かそうと、私たちは官僚組織を構造的に理解しようと心がけた。取材も働き方にとどまらず、具体的な業務内容や霞が関独特の文化にまで広げていった。それは各省庁を縦割りにではなく横断的にみることで、そこに内在する普遍的な問題点を抽出したいと思ったからだ。
思い返せば、ふだん各省庁の記者クラブで仕事をすることに慣れた私たちはこうした取材をあまりしてこなかった。テレビや新聞の記者はそれぞれの省庁で人脈を作り、所管する政策を検証し、その分野の専門性を高めていく。これはいわゆる当局取材というもので、権力の監視という意味でその大切さは色あせない。
しかし、こうした取材はどうしても個々の省庁の政策ばかりに目がいき、官僚組織の持つ構造的な課題への意識が欠ける。ここ数年続く不祥事の原因を深く理解するにはやはり縦軸としての個々の省庁への取材だけでなく、各省庁を横断的にみる目、さらに、歴史的な奥行きを加えた立体的な霞が関の把握が不可欠だと感じたのだ。
そして、そのようにみればみるほど明らかになってきたのが官僚たちの疲弊、霞が関全体の弱体化、さらに存在感の低下だった。その背景として、政治家の側にある責任は見過ごせないだろう。このシリーズでも取り上げたが、官僚の過重労働の一因となっている今の質問通告や質問主意書のやり方は果たしてどうなのか? そして、時間を問わず官僚を呼びつける議員の存在、「忖度」という言葉に代表されるいびつな政官の関係性が生んださまざまな不祥事は、霞が関自身が抱える病理にすべての責任を負わせることはできないことを如実に物語っている。
ゆがみがコロナ対応の迷走を生んだ
戦後、奇跡的な経済復興や高度経済成長を経て、経済大国となったこの国をけん引したのは官僚だったといわれるが、バブル経済がはじけて長期停滞期に入り、財政赤字が膨らむようになると、政治家から行政改革の必要性が叫ばれるようになった。2000年以降、公務員は大幅に削減され、政治主導のかけ声のもと、官僚幹部の人事権は内閣人事局が握るようになり、各省庁の頭越しに行われる政策も増えた。これらの改革は時の政権を国民が支持したからこそ行われたともいえよう。
しかし、そのメリット・デメリットを私たちはどれだけしっかり検証してきたのだろうか。そんなことを今、新型コロナウイルスの惨禍に直面して大いに痛感させられる。未知のウイルスへの対応にはどの国も苦戦しているが、日本の苦境はそのなかでも目についてしまう。デジタル化の遅れで、各地の保健所から感染者の報告が迅速かつ正確に上がらない実態や、学校へのパソコンなどの配備が遅れていたため、オンライン教育に切り替えることができなかった現実、また、政治家への対面説明に追われるあまり、いまだ進まない霞が関のテレワークもしかりだ。
さらに、この間の政策検証も不可欠だ。突如持ち上がり、すぐに立ち消えとなった小学校の秋入学、マスク不足の解消として無償配布された“アベノマスク”、そして観光業を支援するため実施されたGo Toトラベル、さらに世界の中でも開始が遅れたワクチン接種など。ことし1月に行われたNHKの世論調査でも、「政府の新型コロナへの対応を『あまり評価しない』、もしくは『全く評価しない』」という意見は58%に上っている。