コロナ禍は霞が関と永田町の課題を一気にあぶり出した
連日タクシー帰りを続けるある若手官僚は「コロナ対応は霞が関にとり一丁目一番地の仕事です」と気丈に語る。確かにその通りだが、一連の迷走ぶりをみると官僚たちの自助努力ではもはや乗り越えられない壁のような存在を感じる。政治も危機感を持ち始め、河野行政改革相のもと官僚の勤務実態の調査が行われたり、官僚たちが、国会で質問する議員に事前に内容を聞き取り、答弁を作成する「問取り」をリモートで行う政治家も徐々に出始めたりするなど、改善のきざしはある。しかし、それがどこまで徹底され、抜本的な解決につながるかは不透明だ。
また、最近になって明らかになった総務省や農林水産省の幹部たちの接待問題。官僚、特に幹部たちの接待をめぐる問題は先述した通り、3年前に文部科学省と厚生労働省で起きたばかりだ。この世代(50代)は1988年に霞が関の権威を大いに失墜させた大蔵省接待汚職事件、そしてその反省から2000年に施行された国家公務員倫理法について、すでに入省後の出来事でもあり、肌感覚で理解していたはずだ。こんな上司たちの姿を現場で奮闘する若手の官僚、さらにこれから官僚を目指す学生たちはどう見ているだろうか、やるせない思いが募る。
コロナ禍は霞が関と永田町が抱えていた課題を一気にあぶり出した。さらに、それらが国民生活に大いなる不利益となる現実を私たちに突きつけた。この痛切な教訓を官僚、そして政治家がどのように受け止め、生かすことができるのか、私たちはしっかりと見届けなければならない。