それは本当に「意思を尊重している」のか

もう一つ例を挙げましょう。子どもが家に帰って泣きながら「隣の子に叩かれた」と訴えたとします。子どもに自己投影をしている親なら、顔を傷つけられたと怒り狂い、子どもを連れて棒を片手に「復讐」に行くでしょう。中には「弱虫! 勝つまで帰ってくるんじゃないよ」と冷たく言う親もいるかもしれません。相手の子やその親御さんについて勝手な想像をめぐらす親もいるでしょう。

李雅卿『天才IT相オードリー・タンの母に聴く、子どもを伸ばす接し方』(KADOKAWA)

しかし、この件を子どもがどう感じ、どう見ているかをきちんと理解していないため、こうした親たちは子どもを教育する絶好のチャンスを逃しているのです。

子どもが公共の場で大声をあげたり、他人のものを触ったり、周りの備品を壊したり、駄々をこねたり、ふざけたりするのを放っておいて、もっともらしく「子どもの意思を尊重している」と言う親をよく目にします。

実は、これも子どもを無視しているのと同じです。親は子どもの要求に自分の心を傾け、子どもが世の中と適切な関係を築くため、子どもに手を差し伸べる存在であってほしいと思います。そうでないと、人に尊敬され、好きになってもらえる子を育てるのは難しいでしょう。

たった一人の子どもですから、あなたは龍龍が嫌われ者になることを望まないはずです。だから私は真剣に考えた結果、この手紙を書きました。どうか怒らないでください。

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