東洋史研究者が現代中国を語らなくなった理由
【岡本】そうですね。多くの研究者は従来、時事を語ることを避ける風潮が強かった。宮崎市定はもともと政治家をめざしていたそうですが、定年後フリーハンドになって、当時の「文革」に対しても、積極的に発言していました。高島俊男はややアクの強い人で、大学にいられなくなったことが、ひろく文筆業に関わる直接のきっかけだったようです。
【安田】異形の人ばかりですね。宮崎市定は幸いにしてご長寿だったことも、一般向けの旺盛な執筆活動を生む要因になったのでしょう。
【岡本】もちろん本人の性向あってのことでしょうが、それなりの条件・環境にないと、そうならない事情はあるようです。
【安田】従来、一般的な東洋史研究者が時事を語らなかった理由は、戦前・戦中期に国策に協力したことで日本の対中侵略の片棒をかついでしまったことや、逆に1960年代ごろまでは現代中国に関心を持とうとして、毛沢東体制を礼賛する人が出たことへの反省も大きかったと思います。後者については、中国古代史研究で豊かな業績を残した貝塚茂樹(※)ですらからめ取られたほどですから。
※貝塚茂樹:(1904~1987)東洋史学者。京大名誉教授、文化功労者顕彰、文化勲章受章。中国古代の甲骨文字、金石文を研究したほか、現代中国との交流にも力を注いだ。主な著書に『孔子』『諸子百家』『史記』『論語』など多数。
滅びつつある学問が滅びないために
【岡本】基本的に同意します。かつての日本の東洋史研究者の中国に対する同時代的なコミットには、どうしても偏りがありました。ゆえにその後、羹に懲りて膾を吹く傾向も生まれていったのだと思います。
ただ、歴史の世界だけに入り込んで現代の中国を語らずという姿勢でいるのは、もはや難しい時代になっています。これだけ学際とか産学連携とかいわれていますから、まったく無縁ではいられません。
【安田】朝から晩まで漢文に埋もれて暮らすような研究者や学生の姿は、ほぼ絶滅種でしょう。
【岡本】もちろん学問は学問の厳しさを持さないと、学問ではなくなって価値も喪失します。しかしその価値を異分野に伝達できないようでは、リスペクトもされませんし、やがて無用視されます。東洋史学・中国学はまさにその瀬戸際にある、という危機感はもっています。
【安田】現在の東洋史研究者の多くは留学歴がありますし、中国との学術的な交流の機会もあります。本当は一般向けにもっと情報を発信してほしいところです。
【岡本】そうですよね。ちなみに拙著『近代日本の中国観』(講談社選書メチエ)では、かつての中国理解の偏りの歴史を描いています。21世紀の現代になって、ようやくその偏りが見えてきた、自分たちが偏っているということを自覚できるようになってきたところがあります。若い研究者・観察者・書き手にこそ、従来のくびきから脱してほしいものです。