内藤湖南から始まる「中国ジャーナリズム」の意義
(前編から続く)
【岡本】日本の中国関係の言説は、歴史や古典の世界と、現代中国の議論が断絶しがちです。もはやこれは体質的なものでもありますが、東洋史や中国文学の研究者は現代中国を論じたがらない。逆に現代中国に関連するジャーナリストや言論人の多くは、歴史や古典の知的蓄積がとても薄い。東洋史学の訓練を受けたうえでジャーナリスティックな仕事をおこなう安田さんは珍しいタイプではないですか。
【安田】私と高口康太さんが東洋史畑の出身ですが、これは中国関連のライターやジャーナリスト全体では珍しいですね。私がかつて学んだ立命館大学の東洋史専攻では、1回生から漢文が必修でがっつりと読まされました。現在は大手新聞社の中国特派員や外務省のチャイナスクールの職員でも、漢文や東洋史の素養を持つ人は少ないので、差別化できる部分は少なくありません。
【岡本】私たちとしては、たいへん嬉しいですね(笑)。と同時に、現状はたいへん困るものでもあります。
いまから約100年前、かの内藤湖南(※)もはじめはジャーナリストでしたが、当時で言う「支那学」の素養があり、現代の問題を歴史の視点から分析できた。彼が残した『支那論』は当時としては偏りが非常に少なかった名著です。
※内藤湖南:(1866~1934)ジャーナリストを経て京都帝大教授となった歴史学者。代表的「支那通」として知られ、東洋史学研究における京都学派の祖。主な著書に『支那論』『支那史学史』『東洋文化史』など多数。
やがて内藤は学者に転じて、京大東洋史学の祖になります。さきほど私は、東洋史専攻出身の安田さんが中国報道の関係者としては「珍しい」と言いましたが、実はそうではない。むしろ内藤湖南以来の中国ジャーナリズムの原点にいちばん近い人なのかもしれません。