プーチンの対日戦略を決定づけた鈴木宗男

プーチンが人情家であると書いたが、だからといって彼が情緒によって動く人間であると考えるのは早計である。

プーチンは柔道を愛好しているし、佐竹敬久・秋田県知事から贈られた秋田犬の「ゆめ」をかわいがっているからといって、親日家だと思うのは間違いである。プーチンの関心事項はロシアの国益だけである。

日本がロシアにとって役に立つならば利用するし、日本の政策がロシアの国益を損なうと思えば日本を潰しにかかるだろう。逆に言えば、日本との戦略的提携が国益にかなうと思えば、北方領土についても譲歩する用意があるということだ。

さらに、日本との戦略的提携の可能性をプーチンが決して手放さないのは、彼が最初に出会った日本の政治家が鈴木宗男だったということとも関係していると思う。

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KGBで訓練を受けてきたプーチンは感情を表に出すことはほとんどない。しかし、この人は、という相手には、ふとした瞬間にその感情をあらわにする。

2000年の年明け、前年の大晦日に辞任したエリツィンにより大統領代行に指名されたプーチンが、次期大統領としてほぼ間違いないと目されていた。この状況を受けて、日本政府は水面下で「小渕恵三総理の特使として『意中の人』をモスクワに送り、プーチンと接触したい」というメッセージをクレムリンに送っていた。

プーチンに「対露関係を日本は重要視している」というメッセージを伝えるとともに、次期大統領の人相見をその特使にさせようとしたのである。この時、総理官邸・外務省とクレムリンの連絡係を務めていたのが私だった。

小渕は特使となる「意中の人物」が誰なのか最初は黙して語らなかったが、それが鈴木宗男であることは明らかだった。

「森・プーチン会談の日程をぜひ取り付けてほしい」

3月26日の大統領選挙を直前に控えた2月、クレムリンから裏ルートを通じて、私のところに「選挙前に会うことは不可能だが、第1回投票でプーチンが当選したならば、5月に正式に大統領に就任する前に特使との会談を実現できるかもしれない」というメッセージが届いた。

小渕は鈴木宗男を特使に指名し親書を持たせた。この親書には、ゴールデンウィークに首相が訪露してプーチンに会いたいという旨が書かれていた。しかし、それから間もなく異変が起きる。

ご存じのとおり、4月2日に小渕首相が倒れ再起不能になったのだ。丹波實駐ロシア大使をはじめとする外務官僚は、首相訪露の提案は白紙に戻すことを主張した。

しかし鈴木は、森喜朗幹事長が小渕総理の後継に内定しているのだから、森訪露の日程を組めばよいと考えた。これに対し、「森さんが国会で正式に総理に就任してからでなければ外交日程は組めない」と丹波大使は反対した。

私が「これは政治判断の話だから、外務省の事務方がとやかく言うべきことじゃない」と言うと、丹波大使にじろりと冷たい目を向けられた。大使公邸でこうしたやりとりをしていると、公邸の台所に鈴木あてに電話がかかってきた。

つなぐと、相手は森幹事長だった。「森・プーチン会談の日程をぜひ取り付けてほしい」という。それを聞いた丹波大使は「私も実はそれがいいと心の中で思っていました」とコロリと意見を変えた。「官僚は要領をもってその本分とすべし」という彼のモットーがよく現れていた。