姑息な外務官僚のいやがらせ
クレムリンの大統領執務室に鈴木宗男が案内された時、私も末席に連なった。
白い大きな楕円形のテーブル中央に、鈴木が座った。1年半前の1998年11月12日に小渕総理が座った席である。私は左奥の最末席に腰掛けた。
鈴木は次期総理が幹事長の森喜朗であることを伝えると同時に、森の父親が日露友好に貢献した人物で、その遺骨がイルクーツク郊外のシェレホフ市にも分骨されていることを明かした。
その上で、4月29日前後にサンクトペテルブルクで非公式首脳会談を行うことを提案した。プーチンは手帳を取り出して確認すると「その日には別の予定を入れてしまったが、調整して会談する」と答えた。
私は「変だな」と思った。4月29日前後には、サンクトペテルブルクで小渕・プーチン会談を行うことについて、裏ルートではすでに日程を確保していたはずだからだ。なぜ別の予定が入っているのか。
ふと見ると、丹波大使が苦虫を噛み潰したような顔をしている。ようやく状況が読めた。丹波は小渕が再起不能であるという情報を得ると、首相官邸や自民党本部の了承を得ずに「4月29日の小渕・プーチン会談はなくなった」とロシア外務省に伝えてしまっていたのだ。
このフライングが露見することを恐れ、鈴木が森・プーチン会談として仕切り直すことを邪魔しようとしたのだ。姑息な外務官僚がやりそうなことである。
「この席に小渕さんが座っているように思う」
プーチンとの会談の席で、鈴木は小渕総理の魂が乗り移ったかのように日露外交のために言葉を尽くしていた。
「この席に小渕さんが座っているように思う」とプーチンが言ったとたん、鈴木の目から涙があふれた。プーチンはしばらくそんな鈴木の様子を見つめていたが、やがてプーチンの瞳からも涙がこぼれ落ちたのである。
この席で、森・プーチン会談の日程が決まったことが、その後の北方領土交渉を肯定的に切り開いていくことにつながった。これが政治の力である。
会談が終了し、退室しようとする鈴木にプーチンが声をかけた。「できればのお願いなのだが」と前置きし、ロシア正教会のアレクシイⅡ世総主教(最高指導者)訪日の際に天皇陛下に謁見できるように働きかけをしてもらえないか、と言う。「もしも迷惑にならなければ」とプーチンは付け加えた。
鈴木は「全力を尽くす」と約束し、実際にその謁見を実現させた。プーチンは信頼する相手にしか「お願い」はしない。しかも、無理難題を押し通すのではなく、あくまでも「迷惑にならなければ」という態度で依頼する。
具体的な人間関係を通じて相手の民族や国家を見極め、時に鉄仮面の下に感情をさらけ出し、人の心にぐっと入り込んでくる。独裁者の多くは、人の心を掴む術に長けている。一方で、自身の地位を盤石なものとするために、敵と見定めた相手には容赦しないのである。