自動運転技術が追いつかない現実

それではなぜ、CASEといってカーシェアが将来の車社会のキーワードとしてもてはやされるようになったのか。

その理由としては、車は所有から利活用に変化するだろうという予測がある。所有するのではなく、必要な時だけ利用するようになるというわけだ。

大都市中心部では、すでに車を所有するよりタクシー利用のほうが利便性でも経済的な面でも有利である。しかし郊外では、タクシーはほとんど走っておらず、現状のカーシェアは不便だ。

郊外でも安い料金で車を使いたい時にすぐ使える状態にするためには何が必要か。その必要条件がCASEのA、つまり自動運転なのである。

完全自動運転が実現できれば、ステーションから自宅まで無人で車は動き、利用後も自宅で降りたあとは車が勝手にステーションに帰っていく。こうなれば、郊外でも利用が一気に進むだろう。

ドライバーが不要なので自宅まで配車しても人件費がかからず、低料金で利用できるだろう。ステーションもたくさん設置する必要がなくなり、集中化すればステーションに清掃要員を置くことも可能となり、清潔な車が利用できるだろう。

完全自動運転車であれば、そもそも運転の必要が無く、免許のない子供や高齢者も利用できるようになるかもしれない。こうなれば需要は一気に高まり、車両の回転率も上がってさらにリーズナブルな料金で利用できるようになり、車を所有する人は激減するかもしれない。つまりSとAはセットなのである。

道のりは遠い

自動運転は、つい先日世界に先駆けてホンダがレベル3を実用化したばかりで(誤解している人が多いがテスラは未だレベル2である)、使用場面は高速道路で50km/h以下で走行している時(つまり渋滞時)に限られる。

山崎明『マツダがBMWを超える日』(講談社+α新書)

つまり現状では歩行者や自転車がおらず信号もなく、周囲の車との速度差もない状態ですぐに止まれる速度で走っている時にのみ、自動運転が可能なのである。一般道路での完全自動運転までの道筋は、レベルが上がるに従って難易度がより高いものになる。

おそらく自動車単体では不可能で、道路からの情報や歩行者の持つ通信機器などとの連携システムが必要となるだろう。そのためには車だけでなく、インフラも含めた総合的なConnected(CASEのC)の実現も必須条件だ。

こう考えると、完全自動運転をすべての道路で実現するのはまだまだ遠い未来であろう。

現在、道路の老朽化補修や白線の引き直しレベルでも対応が追いついていない状態で、インフラレベルでの整備の実現のハードルはきわめて高いだろう。おそらくそれが実現するまで、大都市以外でカーシェアが普及することはなく、車の個人所有が続くだろう。

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