都道府県議会議員と町村議会議員の大きすぎる報酬格差

議員報酬に対する一般市民の風当たりは強く、「税金泥棒」などと安易に言われかねない。実際に議員になる前の僕もそう思っていたし、それは市民と議員の不幸な関係性である。

基本的に議員というのは、普段自分たちの報酬のことをあまり話したがらない。

しかし、我々には自分たちの報酬に対するアカウンタビリティー(説明責任)がある。

それがきちんと果たせない限り、議員に対する市民の信頼感など生まれるはずはない。

資料3を見てください。都道府県議会議員の報酬を「1」とした場合、市議会議員「0.5」、町村議会議員「0.25」である。

町村議会議員の平均報酬月額は20万円余り。これでは議員を専業として生活していくのは厳しいと言わざるを得ない。それに対して都道府県議会議員の平均報酬月額は約80万円。

この「報酬格差」は「労働の質の差」なのか「議員の格の差」なのか。あるいはこれくらいの報酬額を出さないと「なり手」がいないなど、需要と供給の関係で決まる賃金のようなものなのか。いずれにしても、これでは「報酬格差」があまりにも大き過ぎる。

地方議員はプロフェッショナルか名誉職か

議員報酬を語る上で、カギとなるのが議員定数である。

(1)アメリカ型「政策論議のできる少数のプロフェッショナルを高額で雇う」
(2)イギリス型「議会を平日夜間もしくは土日開催にして、より多くの議員で議会を開催。報酬はほぼ無償」

今の日本のシステムは、アメリカ型とイギリス型の中間であろう。定数は中途半端。しかし報酬は国際的に見ても高い。本物のプロフェッショナルでもなく、無償の名誉職でもないという「曖昧」さが自分たちの果たすべき役割の「曖昧」な認識へと繋がっている。

秦野市議会を見る限り、地域の世話役、相談役といった役割に甘んじ、行政の監視、政策立案、議案の審議が極めて重要だという認識の議員は、ほんの一握りしかいない。

そうである以上、今の制度は変えるべきだ。

労働時間が長く、市民の政治への関心が低い日本社会では、平日夜間や土日に地域のために無償で集まる人がどれほどいるのか。