「長い」「慣例に反する」で発言を打ち切られた

つい先日の委員会での話。

僕の発言に「長い」とベテラン議員からの野次が飛び、発言が阻まれる場面があった。それに対し、「自治会の話し合いでもあるまいし、『長い』という個人的な感覚で発言が打ち切られてしまう、その根拠を示してほしい」と反論した。すぐさま別のベテラン議員が、理由は「慣例に反するからだ」と言い出す。これまでにこのようなケースでは、誰も長く?(5分以下)意見を話してこなかったからだと言う(あの場面における制限時間の規則は一切なし)。

地方議会(おそらく政治の世界全般)では、時にこのようなロジックが通用してしまう。

そして、このベテラン議員発の同調圧力は、すぐさま議事進行役(審判役)の委員長にまで及び、僕の発言にストップがかかったのだ。

そうではなく、真摯な議論を展開することが我々の仕事だ。課題に対するメリットとデメリットを明らかにした上でとことん話し合う。矛盾や疑問、他の選択肢の可能性などの指摘に的確に答えられるかどうかで、案の良否が判断される。的確に答えられず、納得が得られないなら、その案には欠陥があるはずだ。そうであるなら、修正なり撤回をしなければならない。

しかし、実際には「もういい加減にしろ」という感じで議論は一気に打ち切られてしまうのが現状である。

これが「彼らの常識」、これが日本政治の「負」の最前線。

我々はどうして年間762万円もの税金を使って、議論をしない(できない?)議員をわざわざ雇わなければならないのか。彼らがいなくならない限り、日本の政治は決してよくはならない。

今の議会は「議論の場」ではなく「儀式の場」

僕たち議員がとことん話し合い、地域の課題を広く住民に明らかにするのなら議会の存在価値は高い。しかし、現在の議会は「議論の場」ではなく「儀式の場」になってしまっている。

原因は、議員が実力不足(勉強不足)なために、行政の手のひらの上で踊らされているからだ。行政側が出してくる情報を鵜呑みにし、自力で深く切り込めないために、問題の本質まで辿り着けない現状がある。

つまり、政治がまったく機能していないのだ。

僕には政治的なイデオロギーはない。自分が右か左か、保守か革新かを意識したことすらあまりない。目の前の課題や政策に対して、真実を追求する修行僧(サムライ)のような覚悟でこの仕事をやっているだけだ。

真実を見極めるのに、イデオロギーはいらない。

※注1
秦野市議会(令和元年度)の開会及び会議等日数。
個人35日(本会議23日、常任委員会4日、予算決算常任委員会2日、議員連絡会6日)
全体58日(本会議23日、常任委員会日、予算決算常任委員会6日、議会運営委員会5日、議会報編集委員会3日、議員連絡会6日、代表者会議3日)
代表者会議は、正副議長、各会派の代表者が出席。
常任委員会は、総務、文教福祉、環境都市と3つの委員会からなり、議長を除く議員はどれかひとつの委員会に属する。自分の属さない他の委員会への出席は通告制。傍聴は任意。
予算決算常任委員会は、議長を除く議員が属する。
議会運営委員会、議会報編集委員会は、原則、会派に属する議員が出席。
なお本会議及び委員会等以外の「公務」に関しては、所管事務調査(秦野市議会の場合2泊3日)がある。各種式典の来賓、各種研修への参加は任意。

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