マニュアル第一段階はさっそくに破られた

しかしその翌年、中国人活動家が海上保安庁の警戒網をくぐりぬけて尖閣諸島に上陸した。警察と海保が合同で対処する間もなく上陸を許してしまったのだ。

2004年3月24日午前6時20分過ぎ、魚釣島の領海を警戒中だった第11管区海上保安本部(那覇市)巡視船が、領海内に中国の抗議船「浙普漁21114」がいるのを発見した。午前7時20分、中国船は11管の制止を振り切り、活動家7人が魚釣島に上陸した。手こぎボートボート2隻に分乗しての上陸だった。

16時35分、沖縄県警はヘリコプターで20人の警察官を派遣。17時35分に6人、山頂に登っていた残る1人は下山後に、それぞれ出入国管理および難民認定法(入管難民法)違反の現行犯で逮捕した。上陸から逮捕まで、実に10時間以上がかかっている。7人は抵抗することなく身柄確保に応じたという。

逮捕という強硬措置からわずか2日後の26日夜、7人は入管難民法第65条を適用し強制送還された。あまりに早いこの幕引きの裏では、小泉純一郎首相(当時)が、「日中関係に悪影響を与えないよう大局的に判断しなければならない」として関係部署に指示したといわれている。

2012年、再び「保釣行動委員会」が上陸

3度目の上陸は、2012年に起きた。8月15日午後5時29分、「保釣行動委員会」の活動家らが乗船する抗議船「啓豊2号」が日本の領海内に侵入。活動家ら7人が魚釣島に上陸した。ただしそのうち2人は岩場から船にすぐ引き返している。上陸した5人は入管難民法違反(不法上陸)の疑いで、船に戻った2人を含む残り9人を海上保安庁が同法違反(不法入国)の疑いで、沖縄県警が現行犯逮捕した。

活動家らは上陸直前、第11管区海上保安本部の巡視船にレンガのようなものを投げつけていた。

海上保安庁は、入管難民法違反(不法入国)容疑で現行犯逮捕した中国籍の男ら9人について、「ほかに法令違反はなかった」として身柄を入管当局に移送した。

抗議船は改造漁船とみられ、海保が船内の立入検査を実施した際、食料や日用品などのほかは、旗やのぼりなどしかなかった。団体側は、上陸後に同島の灯台を破壊することを目標の一つに掲げていた。