デビューした当時はパッとしなかったが、2年後の97年にTBSで『学校へ行こう!』が始まると、瞬く間にスターアイドルになっていった。

以来四半世紀近く、6人が一人も欠けることなくやってきた。だが、坂本や長野はもうすぐ50歳になる。

来年還暦になる松田聖子もアイドルを自認しているようだから、自分がそう思い込めばいいのかもしれないが。

SMAP、嵐には遠く及ばないのになぜ続いたか

私は、V6が続いたのは、ジャニーズらしからぬ「お行儀の悪いグループ」だったからではないかと思う。

ジャニーズには不文律があるそうだ。「結婚するのは1グループ1人まで」がそれだが、V6は4人が妻帯者で、妻はすべて女優である。

このグループだけ結婚のハードルが低かったのは、SMAPや嵐のような国民的グループにならなかったから、事務所側も見て見ぬふりをしていたのだろう。

シングルが20数年間連続でオリコントップ10入りしたという記録はあるが、NHK紅白歌合戦に出場したのはわずか3回だけ。ファンクラブの会員数や音楽ソフトの売り上げによる事務所への貢献度はSMAPや嵐とは比べものにならない。

写真=iStock.com/Cesare Ferrari
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それに岡田や森田のように俳優としての活躍が多くなったため、V6というイメージが薄れていったということもあるのだろう。

しかし、このメンバー、写真週刊誌への貢献度では、他のグループをはるかに凌駕しているのである。

最初に所帯を持ったのは“イノッチ”で、2007年に女優の瀬戸朝香と結婚している。結婚後は仕事をセーブして夫を支え、文春によれば、「藤島ジュリー景子社長とも直に電話で話す間柄。(中略)陰で夫に尽くし、インスタでは手料理をアップ、時に事務所幹部とも話をする姿がキムタクの妻・工藤静香を彷彿とさせ、“第二の静香”と言う人もいます」(井ノ原家の知人)

週刊誌の的となったカミセン2人の「恋の修羅場」

二組目が白石美帆と結婚した長野。芸能界きっての食通といわれる長野の胃袋を、栄養士の資格を持った白石がギュツと掴んだようだ。

ここまでは平穏だったが、岡田から森田になると、写真誌を欣喜雀躍させる「恋の修羅場」が次々に展開されたのだ。

99年に岡田が優香と密会していたのは路上の車の中だった。車中での「愛の行為」は4時間に及び、その一部始終をフライデーに“激写”されてしまったのである。

「取材に気づいた岡田は慌てて車を降りて記者に詰め寄り、『事務所にバレたら大阪に帰らないといけなくなる』と泣きついたが、記事が止まることはなかった。この報道がきっかけで二人は破局したと言われています」(女性誌記者)

当時はまだフライデーも強気が貫ける時代だった。ジャニーズだけではなく、バーニングプロともやりあっていた。今では、バーター企画を出せば、見逃してくれるかもしれないが。