「初音ミク」や「たまごっち」は西洋では作れない
【三宅】たとえばヨーロッパでは、子供の頃なら人形やぬいぐるみなどを愛でてもいいけれど、大人になる過程でそれはやめようという流れがあります。大人文化と子供文化の間に明確な境界があります。パブリックには大人文化に入れないということは未成熟な人間とみなされる。大人文化が許容できる形状は、日本から見ると無味乾燥な四角や丸に限られる。だから、スマートスピーカーの形状も筒やボックスになるのですよね。
それに対して、日本はキャラクター文化があるので、大人になってフィギュアを買っていても社会的にはじかれはしないように徐々になった。もともとあいまいにしていた大人文化と子供文化の境界がますますあやふやなものになりつつあります。
この20年でさらに軟化していて、キャラクターに対するキャパシティが日本はすごく広い。こういったパブリックとプライベートの形成の違いが、よい意味での人工知能の可能性を実現しているのではないかなと思います。キャラクターの力とAIのエージェント技術が結びついて「初音ミク」や「たまごっち」、「aibo」など、西洋では作れないようなエージェントが日本から生まれています。
人工知能に対してどんな「権利」を認めるべきか
【江間】ここで、人工知能学会の倫理指針の9条の話をしたいのですが。私も三宅さんもメンバーになっている人工知能学会倫理委員会で、2017年に倫理指針を作りました。このうち1条から8条までの主語はすべて「人工知能学会員」ですが、9条の主語だけは「人工知能」となっています。
これについて、海外の方から「社会の構成員として扱うために義務を課すのであれば、構成員であるがゆえの責任も伴うはずである。義務を与えて権利や責任を与えないのであれば、これはダブルスタンダードではないか」と指摘を頂いたことがあります。三宅さんはそのあたりをどう考えていますか。
【三宅】『Detroit: Become Human』(クアンティック・ドリーム,2018年)というゲームがあります。人工知能が賢くなって社会に組み込まれている世界が舞台で、人間とは見た目は同じ人工知能が召使いとして働いています。でも、バスに乗るときは人間と隔離されていて、社会はさまざまな軋轢を抱えている。最終的には人工知能が権利を求めて人間に反乱するという物語です。
人工知能の開発者としては、ここまで人工知能が発達して、義務と権利の問題が顕在化するとするまでに至るならすごいことだと思いますが、まだ人工知能はその段階に達していない。だがそこへ向かって進んでいる。なので、この議論は未来の現実を想定した議論でたいへん不謹慎かもしれませんがとてもワクワクします。