国民投票実施というキャメロンの判断ミス

EU離脱の是非を問う国民投票を行ったのはキャメロン首相ですが、彼は本気でEU離脱を望んでいたわけではありません。「離脱派は4割くらい」と高をくくって、国民投票の結果をドイツとの交渉の道具にするつもりでした。彼が思い描いていた戦略はこうです。「国民投票の結果、EU離脱は免れたけれども、離脱派が4割もいます。イギリス国民が嫌がっているから、移民は受け入れられません」と、移民の受け入れを断る口実をつくることだったのです。

しかし、蓋を開けてみれば、離脱派が過半数を超えていました。この結果は、キャメロンだけでなく、イギリス国民にも衝撃を与えました。思いがけずパンドラの箱を開けてしまったことに対して、「もっとよく考えるべきだった」と動揺したイギリス国民も多かったはずです。

ここから、EU離脱に向けたイギリスのドタバタ劇が始まります。責任者のキャメロンは辞任し、後任のメイ首相が離脱交渉を引き継ぎましたが、彼女も本音ではEUから抜けたくないので、離脱交渉は一向にまとまりませんでした。

ブレグジットが混迷した要因は、保守党内の分裂です。メイ首相が目指したのは、EUとの関係を維持しながら緩やかに離脱する「ソフトブレグジット」でした。EUとの関係を完全に切るのではなく、統一市場へのフリーアクセスは残しておきたいとする穏健派の立場です。それに対して、ソフトブレグジットを「生ぬるい」と批判し、EUからの即時完全離脱を唱えたのが、「ハードブレグジット」派です。

イギリス世論の分裂を背景に、政権与党の保守党内部で噴出した親EU派と反EU派の対立。これはつまり、グローバリズムとナショナリズムの対立です。ブレグジットがすったもんだしたのは、これが理由でした。

ボリス・ジョンソンとは何者か

反EU派の急先鋒に立ったのが、保守強硬派のボリス・ジョンソンです。

保守系メディア出身の彼は、一貫して反EUの立場を取り続けてきました。ジャーナリストとして活動していた1990年代から、ジョンソンはEU離脱を主張していましたが、当時は彼のような考え方は極めて異端でした。ちょうどユーロが世界に流通し始めた頃で、多くのイギリス国民はEUに対してバラ色の未来を思い描いていたからです。

その後ジョンソンは政治家に転身し、下院議員、ロンドン市長を歴任します。2010年代に入ってEUで移民問題が深刻になり、イギリスにも波及してくると、イギリスの世論がようやくジョンソン側になびいてきます。EU離脱派が勝利した2016年の国民投票では、ジョンソンは旗振り役を務めました。