今一つは、「待合政治」の伝統がいまだに色濃く残っているため、喫茶店でお茶を飲みながらでは、政治は動かないと“錯覚”している人間が永田町村にはまだいるからである。

2005年に小泉純一郎首相(当時)の「郵政選挙」で当選した杉村太蔵議員が、当選後のインタビューで「料亭に行ってみたい」といったが、当時でも、国会議員といえば料亭というイメージはまだ根強くあった。

「夜の国会議事堂」赤坂の世界

赤坂は、柳橋や新橋、神楽坂よりも格下ではあったが、永田町から近いという地の利を生かして発展してきて、「夜の国会議事堂」とまでいわれていたのである。

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1955年頃には芸妓が300名、料亭は80軒あったといわれる。私がメディアの世界に入ったのは1970年だが、赤坂の有名料亭の前には黒塗りのハイヤーがズラリと並んでいた。

政治家たちが夜な夜な赤坂の料亭に集って密談を交わす「待合政治」が頻繁に行われていたのである。

料亭が使われたのは料理がうまいとか、芸者がいるからという理由だけではない。

私も何度か行ったことがある「金龍」という名高い料亭があった。残念なことに、2019年に惜しまれて閉店してしまったが、中に入ると小さな小部屋がいくつもあった。

密談をしたいが、マスコミなどに知られたくない人間は、別々に部屋を取る。ここもそうだったと思うが、料亭といっても自分のところで料理人を置いて出すのではなく、多くは仕出しを取るのである。

料理をつまみながら酒を飲んでいるうちに、他の部屋にいた人間が手水を装って入ってくる。ひそひそ話をして、再び自分の部屋にもどって行く。

料亭では、出入りの際、誰とも顔を合わせないように必ず配慮する。料亭を出て、新聞記者から「誰と会っていたのか」と聞かれても、「仲間内で酒を飲んでいただけだ」といい逃れができる。

「建前」は国会で、「本音」は料亭で

料亭では、酒食だけではなく、麻雀などもできた。各党の国会対策委員会の責任者が集まり麻雀に興じているところへ、自民党の幹事長や官房長官などが顔を出し、半ちゃん程度付き合い、ごっそり負けて、「じゃ、これで」と帰って行く。

麻雀で負けたことにして、多額のカネを他党の人間に配るのである。

また、カネだけではなく、別の部屋に芸者を待たせ、もてなすということも行われていたようだ。

「夜の国会議事堂」といわれた所以である。

そうやって他党にも人脈を広げ、影響力を持つことが、党内での出世につながったのだ。