180度違う二人のリーダーシップ
「吉野家の実質的創業者である松田瑞穂は超ワンマン。何をやるにもほとんど理由を言わずに、結論だけ。「すぐ反応しろ! うだうだ言っていないで、すぐに取り組め!」という人。ただ、松田さんの指示はその場の気分や思いつきで理不尽なことを言うのではなく、裏には松田さん流の理屈がきちんとあって、それが解ったときには人をうならせるような深みもありました」(安部)
一方で、再建を担った増岡章三氏についてはこう述懐する。
「何をするにしても実にじっくりと検討してから。石橋を叩きすぎて壊すんじゃないかと思うほど安全性重視で慎重。決めなきゃいけない期限がくるまで決めない。決めないかわりに、ほかの選択肢を求めてくる。増岡先生のもとで、決定という言葉の定義が変わりました。さまざまな手段が選択肢として存在している中で、最も有効かつ合理的な一つを選ぶことが決定だと。重要な問題ほど、期限がくるまで決めなくても不都合がないということも学びました」(安部)
180度違うトップの元での再建。それが吉野家の強さの源泉となった。
「未来の吉野家は牛丼をやっていないかもしれない」
「これからの時代は無形なものは守らなければいけないけど、有形のものはすべて変わってもかまわない。だから未来の吉野家は牛丼をやっていないかもしれない」(安部)
BSEのとき、『あの味でなければ吉野家の牛丼ではない。あの味が出せなければ牛丼はやらない』と、そこまでこだわったにもかかわらず、その牛丼をやらない吉野家という選択もありだという。
「思いやらフィロソフィーといったところが一番重要で、それ以外はすべて変わっていいと私は思っています。商品だろうと、商品をハイバリューにするための組み立てや工夫といってものも、姿形あるものはすべて変わっていい」(安部)
そして、いまのコロナ禍においては、
「世の中の変化は足元の要素がまず変わっていく。そのことが生活様式とか生活観念とか常識を変えていくのだけれど、そういうものが大きく変われば変わるほど、そこにチャンスが生まれる。そのチャンスに何を課題に据えてチャレンジするか。チェンジはチャンスを生み、そのチャンスはチャレンジをもって享受することができる。きっと今はよい時代です」(安部)
吉野家の逆境をチャンスに変えるDNAがここにある。