まず、繊維業界が不況になり、本町のデザイン室を京都の本社に集約することになったこと。自宅から京都に通うのは遠かったし、それなら京都に住もうという気持ちも湧かなかった。
自分の仕事を「歯車の一部」と感じるようにもなっていた。
会議で決まった内容を、その通りにデザインする。そこには創造力を発揮したり、工夫を凝らしたりする余白がなく、お客さんの顔も見えない。次第に「これって、お客さんが本当に喜んでくれてんのかな」という疑問が募っていた。
とはいえ、イチ社員にはどうすることもできないというもどかしさを感じていた。
その頃、同じくデザイナーをしていた彼と結婚したことが最後の決め手となり、退職を決意。2007年、28歳の時に大阪の岡町で新生活をスタートした。
そうだ、私はおはぎが大好きだったんだ
岡町に引っ越した後は、同じ繊維業界で週3日のパートタイムの仕事を始めた。
寝具メーカーから染色の依頼を請けて、適切な色を指定し、染色工場にオーダーするという会社で、働いていた寝具メーカーと一緒に仕事をすることもあったそうだ。
ところが、やはり繊維不況で週3日の仕事が週2日に減り、手持ち無沙汰に。そこで夫に「なんかできることないかな?」と相談したところ、話の流れでこう言われた。
「アルバイトとかではなく、パティシエとか自分でなにかしてみたら?」
パティシエ……確かに、アルバイト時代はお菓子づくりが楽しかった。「それならマカロンはどう?」と尋ねたら、首を横に振られた。
これはどう? あれはどう? といくつかアイデアを出しても、バッサリと切り捨てられる。当時、企画の仕事に携わっていた夫は、森さんの案にも妥協がなかった。
うーん、どうしたものか。ふと、仕事帰りにいつも、おはぎとわらび餅を買って食べていることを思い出した。夏の間はわらび餅、春秋冬は黄な粉のおはぎ。特にシーズンが長いおはぎは、どこのおはぎがおいしいか、いろいろなお店を巡っては食べ比べしていた。そうだ、私はおはぎが大好きだったんだ。
「おはぎやさんってどうかな? 自分が食べてて体に優しかったら嬉しいし、雑穀を使ったおはぎって良さそうじゃない?」
それまで、なにを言ってもピンとこなそうだった夫が、少し驚いた様子で言った。
「おはぎ、いけるんちゃう? もう明日からあんこ炊き!」
独学で始めたおはぎ作り
翌日、森さんは書店に走って料理本、レシピ本を何冊も購入した。実は、一度もあんこを炊いたことがなかったのである。その日から、毎日あんこを炊く日々が始まった。
それから、友人や知人、初めて出会う人にも「私、おはぎやさんするのが夢やねん」と伝えるようになった。それは、森さんの人生において、とても大きな変化だった。
「子どもの頃から、これがしたいっていうものがあまりなくて。基本的に流れに身を任せてる感じだったから、これがやりたいっていうものがある人とか、しっかりと自分を持っている人をみると、すごいな、羨ましいなと思ってたんですよね」
自分でも驚くほどはっきりと自覚した、「おはぎやさんをやりたい」という意志。この気持ちを大切にするためにも、恥ずかしがったり、躊躇したりすることなく、言葉に出すようにした。