日本の対米開戦を擁護したい政治的右派にとっての不都合
他方、政治的右派にとり「不都合」なのは、仮に真珠湾奇襲が冷徹な合理的計算の産物でなく、ハル・ノートに起因する憤りという感情的な意思決定の産物なら、日本の対米開戦を擁護することが難しくなるからだ。
換言すれば、右派にとっては、ルーズベルトが日本の真珠湾奇襲を誘発したという陰謀論(conspiracy theory)や、軍事戦略上の限定的な合理性があったといった説明の方が、はるかに都合が良いのである。
あるいは歴史学者にとって「不都合」なのは、仮に真珠湾奇襲が単なる脳(特に怒りのメカニズム)が起こしたエラーだったのなら、これまで積みあげてきた豊かな史的叙述が、何とも人文学的に味気のない科学的な説明に還元されてしまう恐れがあるからだ。
この恐れは還元主義や科学主義といった議論にかかわり、ここでは詳細な議論は割愛するが、その結論を述べると、科学は人文学的な議論を補完する役割を果たしえるため、こうした批判は的を射たものでない。つまるところ、本稿の進化政治学的説明は、「悪かった」(政治的左派)、「騙された」「仕方がなかった」(政治的右派)といった規範命題や、個別的事象をめぐる歴史研究の豊かな叙述とは離れた、抽象的かつ冷徹な科学的推論なのである。
それは進化過程で人間の脳に備わった心理メカニズムである
つまるところ、戦争とは複雑な諸変数の産物であり、それに単一の原因を帰することはしばしば分析上の困難を要する。しかしながらそのことが不可避に、当該事象の因果メカニズムを探求する学術的営みの意義を否定することを意味するわけではない。
本稿が提示した真珠湾奇襲をめぐる進化政治学的説明は、たとえ複雑な社会政治現象であっても、ポストモダニズムの相対主義、アドホックな歴史的叙述あるいは特定のイデオロギー的主張に陥ることなく、当該事象中の相対的に重要な要因を、科学的根拠を備えた形で明らかにできる可能性を示唆している。
そしてここでいう科学的根拠とは、人間本性を捨象するミクロ経済学的合理性や統計学的相関ではなく、進化過程で人間の脳に実際に備わった心理メカニズムに他ならない。「生物学の時代(biology)」(James Stavridis)に進化政治学が必要とされる所以である。