大企業幹部、官僚…の横に「大道芸人」

「東大を出て、会社勤めをした後、大道芸人になった人がいる」。知人からそう聞いて、十兵衛さんに初めて会ったのは2018年秋のことだった。東大を卒業した人の職業選択はむろんさまざまだろうが、多くは大企業や官公庁、弁護士や医者、公認会計士といったところだろう。その中で企業への就職を選び、その後に大道芸人になったという人は、何をどう考えてその道を歩んでいるのか、強い興味が湧いたからだ。

十兵衛さんに連絡すると、取材を快諾してくれた。都合の良い取材場所はどこかと伺うと、「うちに来なさいよ」と言われた。住所を聞けば麻布十番という。なるほど。芸名の由来は分かった。

「なぜ大道芸なのですか。例えば学生時代に大道芸をやっていて、ビジネスマンを卒業して再び始めたとか」。そう聞くと十兵衛さんは「違う違う。大学時代は剣道部だったんですよ」と言って、書斎から剣道部のOB名簿を持ってきた。

名簿には名前、卒年次、学部、住所、電話番号などが書かれており、最後に肩書が記されている。さすが東大。現在50歳代、60歳代のOBの肩書はそうそうたるもので、多くは誰もが知る企業の上級幹部だった。

しかし70歳代以降になると肩書のところには空欄が目立つ。それをじっと見ていると十兵衛さんはニヤッと笑って言った。「70歳を超えて仕事を続けている人なんて、限られていることがわかるでしょ。開業医か弁護士、公認会計士ぐらいでしょ。それと……。大道芸人くらい」。確かに十兵衛さんの職業欄には「大道芸人(芸名麻布十兵衛)」とあった。

新卒入社した会社がオイルショックで経営難に

ご本人とかつて日本テレコムで一緒に働いていた部下三人の話を踏まえて、麻布十兵衛こと栢木興太郎さんのビジネスマン時代をたどってみる。

栢木さんは1970年に東大経済学部を卒業した。海外駐在を強く希望していたこともあり、新卒一期生として、設立間もない三井海洋開発に入社した。

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海洋油田開発を手がける同社で、海外勤務の希望は叶った。15年間でシンガポールとアラブ首長国連邦の2カ所に駐在。しかし四十歳を前に転機が訪れた。二度のオイルショック以降、世界中で油田開発が相次ぎ、油価が下落。海洋開発のニーズが激減し、三井海洋開発の事業が先細りになったからだ。

「三井海洋開発は一度清算する」。親会社の三井物産幹部にそう言われ、再就職先を斡旋された。提示された複数の候補の中に三菱商事や三井物産、住友商事などの大手商社と松下電器産業(現パナソニック)などが立ち上げた国際電話事業者の日本国際通信(現ソフトバンク)があった。

栢木さんは「海外で働きたいと思っていたから社名に『国際』と付いている会社が良い」と思って入社した。この人の話はどこまでが本当で、どこからがネタなのか分からない。