「何をやっても右肩上がり。楽しかったですね」

発足間もない同社は海底ケーブルを敷く、宮崎県に陸揚げ局を作る、東京のお台場にテレコムセンターを建設するなどインフラ整備が目白押し。栢木さんは監督官庁である郵政省(現総務省)やNTTなどとの折衝や用地買収の交渉に明け暮れていた。

「会社は出来たばかりで何をやっても右肩上がり。だから楽しかったですね。もちろん忙しかったけれど、それでもいろいろな部内行事がありました。栢木さんは全てに参加していたと思います。そういう場で人を楽しませることが好きだったみたい。今の大道芸人に通じるところがありますね」と元部下の松葉和子さんは言う。

もっともその頃あたりから会社全体の経営環境は次第に厳しさを増していた。国際電話事業が過当競争に入ったためで、会社の資本構成は何度も変わった。

日本国際通信は1997年、日本テレコムに吸収合併され、存続会社の日本テレコムには1999年、ブリティッシュ・テレコムとAT&Tが資本参加した。2000年に日本テレコムの子会社だったジェイフォン買収を目論んだ英ボーダフォンが大株主として浮上する一方、ブリティッシュ・テレコムとAT&Tは離脱。2001年にはボーダフォンが日本テレコムの経営権を握った。

資本構成の変化はこれで終わらない。日本テレコムの親会社は2003年に米系ファンド、リップルウッド・ホールディングス傘下に入り、2004年にソフトバンクが買収した。

上司に突き付けられた「会社を辞めてくれ」

大株主が毎年のように変わるなか、栢木さんは横浜支店であげた抜群の営業成績が評価されて執行役員に昇格。広域営業部門長に就き、地方にある企業との法人営業を統括する立場になった。

部下の一人、山本佳樹さんは、栢木さんに2002年5月から2年間仕えた。二人でしばしば地方出張に出掛けたという。「今にして思えば大変な時期でした。大株主が変わるたびに営業方針が変わったわけですから。栢木さんは相当苦労していたと思いますが、偉かったのは上司から方針転換が告げられると顔を真っ赤にして反発していたのに、僕らにあたったりすることなく、常に前向きな姿勢を取り続けたことでした。頼れる上司でしたね」と語る。

会議室で話し込む2人のビジネスパーソン
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栢木さんと上司が対立したのは、営業をかける相手を巡ってだった。上司は収益性を考えて大都市にある大企業を追えば良いと主張した。対する栢木さんはそうした虫食い的な営業に反対した。通信は重要なインフラ。全国どこでも同じサービスが享受できるユニバーサルサービスを展開すべきとの自説を曲げなかった。

当時、どちらの考えが正しかったのかは分からない。しかし2005年、栢木さんは上司に呼ばれ、「向こう一年分の給料を払うから、会社を辞めてくれ」と言われた。おそらく大都市特化戦略に異を唱え続けたからだろう。当時59歳。突然の退職勧告だった。「悔しかったね。何とかして見返してやろうと思ったよ」と本人は言う。