日本テレコムを辞めざるを得なくなった時、十兵衛さんは「必ず見返してやる」と心の中で思った。自分を退職に追い込んだ相手がいま何をしているかは知らないが、自分は大道芸人として社会から必要とされる仕事をして、収入を得ている。しかもこの仕事は人に喜ばれることをするという人生の目標にふさわしい。俺は今でも仕事をしていると胸を張るためにも、十兵衛さんは投げ銭にこだわっているのだろう。
“OB”ではなく、今の肩書で自分を紹介できるか
あの人は医者、この人は弁護士……。社会は人を肩書で判断する。企業社会はなおさらそうだ。どこで働いているのか。肩書は部長なのか役員なのか社長なのか。人はそういう物差しで測られ、場合によってはそれが一生ついて回る。
その点、十兵衛さんは自分を紹介するのに「元日本テレコム執行役員の」という枕詞を使うことはない。肩書はあくまで「大道芸人」。それがライフシフトに成功したことの証拠でもある。
さらに重要なのは、今の肩書に満足していることだ。東大を卒業して、一流企業の役員にまで昇り詰め、そこから大道芸人に転じたというキャリアに多くの人は「どうして?」と思うだろう。十兵衛さんはそう見られていることを自覚しているが、他人の目は気にしない。
高校生だった時に出会った落語にのめり込むうち、人を喜ばせることが楽しいと思うようになった。退職して、もともと自分がやりたかったことをしている。ただそれだけ。他人が驚くことがむしろ驚きなのかもしれない。
退職を迫られた時に思った「見返してやる」という思い。リベンジが十二分に成功していると言えるのは、過去にすがることなく、常に先を見つめているからだ。