孤独死の受け入れ場所になりつつある空き家
この現場は、私の中に非常に強い印象を残しました。それは、数多くの凄惨な現場を経験してきた中でも、身元不明のまま空き家で孤独死した事例に触れたのが初めてのことだったからです。
「行旅死亡人」という言葉があります。これは、氏名、住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者を指す言葉で、自治体が火葬を行い、遺骨は無縁仏として埋葬されます。
字面から連想するように旅先で亡くなる場合もあれば、山林や河川といった場所で発見されることもあり、その死因は病気、事故、自殺、他殺などさまざまです。私は今後、この団地の事例のように、空き家で人知れず亡くなる人が増えていくと考えています。
日本では今、この「空き家」が大きな問題となっています。
人が住まなくなった家は、更地にするにせよリフォームするにせよ多額の費用がかかるため、固定資産税を払うほうがコストが低いと判断され、放置されがちです。そして、これから日本が人口減少の局面を迎えると、住み手はさらに減っていき、およそ10年後には一般住宅の4戸に1戸が空き家になるという予測さえあります※1。
この空き家の住人は、すべての関わりを拒絶するようにひっそりと生き、誰にも看取られることなく亡くなり、誰であるかもわからない状態で発見されました。
人は、ひとりで生まれるわけではありません。どんな人にも父と母がいて、世の中とつながっています。それなのに、故人を偲びたいと思っても、何者かもわからず偲ぶことさえできないのです。いわば究極の孤独死だといえるでしょう。
この「誰も偲ぶ人がいない」という意味での孤独死は、生涯未婚率が高まっていることを考えると、今後増加していくはずです。
そして、私が特殊清掃を手掛ける多くの現場で触れるのは、生前、人との関わりを拒絶し、誰にも看取られることなく亡くなっていく、悲しき人々の人生なのです。
トイレで亡くなることは珍しくない
精神疾患に苦しむ人々のケアは現代社会における大きな課題ですが、特殊清掃の現場にも、精神疾患によって苦しんでいるたくさんの人たちがいます。たとえば、自立して生活を送ることが難しいほどの精神疾患を抱えた人が、支援してくれる人を失って孤立無援となってしまった場合、果たしてどんな事態が起こるのでしょうか?
その現場となった部屋の住人は知的障害者で、トイレで便座に腰をかけたまま亡くなっていました。孤独死する場所としてトイレは珍しくありません。体調に異変を感じてトイレに駆け込み、用を足している最中に脳溢血などで亡くなることは多くあります。
しかしこのケースでは、単にトイレで亡くなっていただけでなく、遺体が便座に腰掛けたままの姿で白骨化していたのです。
依頼者は、故人の叔父です。その方に聞いた話をまとめると、つまりはこんな状況でした。