リベラル=高すぎる理想を説教台から語るエリート主義

リベラル勢力(含む野党)も、総理大臣や自民党という「属人的な」批判に終始するばかりで、制度的に権力を縛る具体的提案がされることはなく、「与えられた」民主主義や立憲主義が血肉になっているとは到底考えられない。

倉持麟太郎『リベラルの敵はリベラルにあり』(ちくま新書)

リベラルが無批判かつ無邪気に主張し続けた様々な価値観が、グローバリゼーションやアイデンティティの政治を産み、他者を尊重し思いやるための「共同体」や「個人の尊厳」を歪めてしまった。

加えて、リベラルが、その高すぎる理想を説教台から語るエリート主義(愚民思想)に陥ったことによって、怒りや不安で満たされた人々が排外主義的な価値観のもとに結束した。愚民思想が蔓延すると、生活者たちは、自分たちはリベラルに信用されていないと判断し、もはやリベラルな価値観のもとでは結集しなくなる。リベラルに対する不信は必然である。

リベラルは、非現実的な「個人」像から脱却し、共同体や文化に根差した顔が見えて温もりを感じる生身の個人による政治(「個人(individual)2.0」)の構築を模索すべきだ。そのためには、「国家」の概念も適切に再定位しなければならない。

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