「牛丼なしでもやっていけることを証明しよう」

吉野家の牛丼は穀物飼料で育った米国産牛肉としての味付けであり、それを牧草飼育のものに変えるというのでは、“吉野家の牛丼”としてお客様が愛してくださっているものを、“いつもと違う味の牛丼”という形で提供することになる。

「それでは、長い目で見たときに、吉野家ブランドへの信頼を失ってしまう」

「牛丼一筋」の吉野家が牛丼販売を停止する。

多くの吉野家ファンはもとよりメディアも心配の声が広がった。

吉野家の牛丼

「吉野家が培ってきたナレッジとこの組織なら、この危機も乗り越えることができる、克服できる、そう思ったのです。何の傷も負ったこともない組織がいきなりあれに遭遇したら、すくんでたじろいだり、ひるんでしまうでしょう。でも、少なくとも私と幹部たちは、それまでの逆境を何度も乗り越えたことがあり“どんなことであれ乗り越えられる”ということが確信としてありました。それに同じ取り組むなら後ろ向きで取り組むより前向きのモチベーションで取り組んだほうがいいに決まっています。だったら、“牛丼なしでもやっていけることを証明しよう”というチャレンジをすることにしたのです」

安部氏はあらゆる部署からの意見を吸い上げ、朝令暮改でメニューを変えた。そうして試行錯誤を重ね、牛丼が停止した初動こそ赤字になったものの次年度にはメインの牛丼がないまま吉野家単体では黒字化を達成した。

危機が一転「牛丼一本足打法」からの脱却

「うちはメニューさえ決まればクオリティであれ、コストダウンであれ、改善力と継続力は強い。必ず黒字化できると根拠はないが妙な確信があった」(安部)

吉野家は安部氏の主導のもと、議論を重ね、試行錯誤を繰り返しながら動いた。現場での判断も尊重し、いざ決まると、一致団結してそれに向かう組織力が発揮していった。

「うちは牛丼単品でやっているからうまくいっていると思われがちですが、もちろんそれも最大の条件ですが、それだけではない。他のものを売ってもうまくいく。うちの連中はそれだけの力を持っている」

そのことを、このBSEの機会に証明した。

それまでの吉野家は牛丼一本足打法で来ており、ちょっとのマイナーチェンジでも現場では大騒ぎになるほど、すべてが牛丼をいかに早く提供するかということのために組み立てられていた。そこをいったん壊し、一から作り直した。

「ひとつ新しいメニューができると、それにマニュアルをつけて作り方を教え、備品や設備を整えても、4、5日もするとまた新しいメニューができ、最初から教え直した」

現場で不具合がおきたときはかなりの部分は現場での状況判断に任せ、事後報告であってもよしとした。