女性差別・暴力事件の背景にある「有害な男らしさ」
また、近年立て続けに問題となった深刻な性差別事件、性暴力事件の報道を見ると、その背景に「有害な男らしさ」の影響を色濃く感じざるをえません。
たとえば、最近大きな話題になったものとしては、2017年にジャーナリストの伊藤詩織さんが、安倍首相と親しい記者の山口敬之氏から受けた性暴力を実名で告発した事件。2018年には、財務省の福田淳一事務次官(当時)によるテレビ記者へのセクハラ事件や、雑誌『DAYS JAPAN』元編集長でフォトジャーナリストの広河隆一氏による複数の女性に対するセクハラ・性暴力が告発された問題がありました。どの件でも、加害男性はまったく反省しているようには見えず、それどころか自分のことを被害者であると感じているようにさえ見えます。
また、2018年に発覚した、複数の大学医学部の入試において女子受験生が性別を理由に得点を低く調整されていた事件も、これ以上ないほど明白で露骨な性差別であったにもかかわらず、ネット上には「結婚や出産で仕事をやめてしまう女性がいる以上、減点は合理的」などと擁護する意見がみられました。
息子たちを加害者にしないために
こうした性差別的な言動をする人や組織を減らすにはどうすればいいのかと考えると、やっぱり大人になってからの教育だけでは遅いと思うのです。
もちろん、企業や役所等の職場で、セクハラ研修を義務づけたり、性差別的な言動をする人は人事上マイナスに評価して要職に就かせない、といったことは大切です。ただ、それによって「こうした行為や発言がなぜ許されないのか」という根本的なことを、内心まで浸透させ、納得させられるかというと、やはり非常に時間がかかるし、限界もあるのではないかと思います。
それよりも、可能な限り若い──むしろ幼いうちから、性差別的な価値観をもたせないための教育をすることに、もっと力を注ぐべきではないでしょうか。
私は、近い将来、息子たちがひとりの男性として生きていくときに、パートナーや周囲の女性に対し、意図せず性差別的な言動をして傷つけたり、抑圧したりするようになってほしくはありません。もちろん、意図的な差別やセクシャルハラスメント、性暴力、DVの加害者になることなど論外ですし、アルコールやギャンブルに依存して、自他を傷つけるような男性にもなってほしくありません。
そのために必要なことを教えはじめるのは、おそらく思春期よりもっともっと前から必要で、成長のできるだけ早い段階からであるべきではないか、というのが実感です。子どもの成長はほんとうに、ほんとうに早いので。