本当に自力ではできないのか
名古屋大学応用化学科へ進み、新しい化学合成物づくりに熱中した。炭素繊維のことは、忘れていた。だが、就職先を考えたころ、東レが炭素繊維の研究開発に取り組んでいることを知る。「おっ、これだ」と思い出し、不思議な縁を感じた。結局は東レから奨学金をもらって大学院へ進み、修士課程を修了してから入社する。炭素繊維の研究を希望したが、配属先の滋賀県大津市の中央研究所では、別の合成樹脂の担当となる。でも、その樹脂で初めて特許を取り、工場で事業化に成功する。いまも日本と米国で生産しており、工場へ行くと、「これは、自分が仕上げた事業だ」との感慨が湧く。
その後、念願の炭素繊維の研究職になり、ニューヨーク駐在を務めた後、プラスチック事業の企画マンへ転身。冒頭の買収案件に遭遇した。その新たな進路のゴールは、社長直属の経営企画室入りだった。
買収合戦を終えた後、ある日、自分の席の近くに、社長がぶらりと現れた。「おい」と声をかけられ、空いている席を指して「ちょっと、座れ」と言う。「何の用事かな? まあ、5、6分で終わるだろう」と思っていたら、2時間近くも問答が続く。主として、仕事に関する考え方を質問された。後から思えば、「面接」だったらしい。ほどなく、経営企画室へ異動する。以来、社長になる2002年6月までの13年間、経営戦略の参謀役が続く。
長期の経営ビジョンや経営理念など、東レがグローバルに生き続けるためのすべてを、立案し続けた。きわめつきが、92年4月から3年続けた「ID-2000運動」だ。自由闊達な企業文化を取り戻すため、それぞれの職場で「自分の役割や責任は何か?」「自分の職場の存在意義は?」を考え、目標を立てる。
高校生のころに聞いた、ケネディ米大統領が国民に語りかけた「国家があなた方のために何をしてくれるかではなく、あなた方が国家のために何ができるかです」という演説の趣旨と同じで、「会社が何をしてくれるかではなく、自分は会社に何ができるかだ」と説明した。「ID」はアイデンティティー。つまり、個々人がそれぞれの舞台で自分らしく生きることを示す。
臨済宗の粗である臨済禅師に「随所に主となる」との言葉がある。人は誰でも、どんな立場や境遇にあっても、自分の人生は自分が主役。いつも自分を見失わず、各自が主体的に動くように説く。榊原流ID運動も、この「随所に主」に重なる。
社長になった後も、社員たちの意識改革を重視した。週末などを使って半年間、課長対象の経営スクールを続けた。自分も、教壇に立つ。自ら企画し、提案をまとめ、実現のために動いた経験を紹介して、「キミたちも、そういう大きな提案を、自分で考えなさい。会社を動かすのはキミたちだ。トップは、そういう提案を待っている」と繰り返した。
ただ、自らモノづくりを貫徹し、世に出していく手法にこだわる自分たちの世代と違って、いまの40代は「何でも自社でやるのではなく、同業者との提携も、垂直型の連携もあり得る」と主張する。間違いではない。でも、「本当に、自分たちでは、できないのか」と問いたい。
2011年春、米ボーイングの新型旅客機「B787」が、日本の上空を飛ぶ予定だ。機体や翼など、機体重量の半分相当に炭素繊維が使われる。強度に勝り、軽くて錆びず、耐熱性も優れている。その1機当たり35トンすべてを、東レが独占供給する。高校2年のときからの夢が、実る。
炭素繊維の開発は、すべて、自社でやり通した。40年を超えはしたが、大きく開花する。やはり、自力でやり通すことが大事。企業も「随所に主」でなければ、いけない。