極秘のNY決戦3カ月と3千億
1988年の春、何度も、会社に泊まり込む。プラスチック事業管理部の戦略を練る企画課長として、米企業の樹脂事業の買収争いに参戦していた。ニューヨークに滞在させていた部下やコンサルタントらから情報を得て、間髪を入れずに指示を出す。そのためには、日米の時差を克服する必要があった。
45歳。周囲は、疲労の蓄積を心配した。でも、大学や大学院時代にも、よく研究室に泊まり込んだ。実験データを1時間おきに確認しなければならなかったためだが、どこでも眠れるし、苦にもならない。
買収は、東レの連結売上高がまだ6000億円ほどの時代に、売り上げ規模が2800億円もの事業が対象だった。でも、当時の社長は「3000億円まで使っていい」と言ってくれた。上司はぐずぐず言っていたが、経営者は太っ腹だった。
当初、十数社が名乗りを上げた。二度の入札で、東レを含む4社に絞られた。いよいよ決戦だ。綿密な対応が欠かせない。極秘にニューヨークへ飛び、別件で出張にきていた部下をホテルに呼ぶ。事情を明かし、「これから最終交渉に入るので、このままアメリカにいてくれ」と命じた。部下は、1週間程度の出張支度だった。でも、「紙製の下着でも買ってしのぎ、交渉が片づくまでいるように」と言い渡す。
プラザ合意を挟む円高で、日本企業の競争力は急降下していた。東レも新社長の下、事業構造の改革やコスト削減を進めた。だが、それだけでは、将来は切り拓けない。自動車各社が、どんどん海外生産へ出ていく。貿易摩擦の激化で部品の現地調達を求める米国では、東レも生産拠点が要る。親しくしていた社長からの買収の誘いは、渡りに船だった。
4社での争いは、20億ドルから始めた。当時の為替相場が1ドル=120円台だから、約2500億円。社長に言い渡された上限額まで、あと500億円、4億ドルしかない。そこで2社が脱落し、最後の相手はゼネラルエレクトリックス(GE)だった。一騎打ちで、21億ドルから23億ドルへと上げる。「ひと声250億円」だ。だが、相手は25億ドルまで上げてきた。限界だった。
負けはしたが、ほぼ一人で仕切った。3カ月間、エキサイティングな経験だった。一課長が提案したものでも、「やろう」といった会社はすごい。改めて、見直した。
グローバル時代の幕開けとしてはもう一つ、感慨深い経験が40代にある。米モンサントとの合成樹脂での合弁だ。大型買収と相前後して計画した。これも、上司が反対する。でも、退かない。あのとき米国に残した部下は、実は、内々に合弁交渉を進めるために渡米していた。
その合成樹脂は自動車向けで、ラジエーター周辺の冷却水タンクなどに使う。これを現地生産しないと、進出した自動車メーカーに日本での取引まで切られかねなかった。強い危機感が背中を押す。やがて、調印寸前まで進んだが、上司は相変わらず「許さん」の一点張り。困ったなと思っていたら、その上司が異動した。思わず「万歳」と叫び、後任にサインしてもらい、実現させる。
平社員でも物が言え、面白い提案なら「どんどんやれ」と受け入れる企業文化。それこそが、東レの活力源だった。拙速はいけないが、上司が「ダメだ」と言っても、上司のほうが間違っているとわかっている以上、前へ出る。「自分が会社を動かす」との気概に満ちた榊原流だ。
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