多元方程式とく他部門との熟議
1986年7月、石油業務部の副部長となる。45歳。会社は原油を輸入し、製油所で精製して、ガソリンや軽油などの製品をつくり、販売を任せている共同石油(共石)へ渡していた。その流れの中で、共石との接点になる部署だった。
さまざまな石油製品を、いつ、どれだけ、共石の販売網に渡せばいいのか。それに合わせて、どこの製油所に、何を、どれだけ、いつまでにつくらせればいいか。さらに、ひとくちに原油といっても種類が多く、精製時に出る製品の構成比がそれぞれ違い、販売価格も違う。それらの点をすべて考慮して、全体の精製計画をつくる。多元方程式を解くような日々が、始まった。同じ石油事業本部の仕事でも、20代の半ばから続けてきた原油調達の計画役や産油国との交渉役とは、様変わりだ。
でも、すぐに、気づいた。購入してきた原油を、ノルマに基づいて機械的に精製し、共石に渡している。だから、共石側がほしい製品ごとの量と渡している量が、一致しないときがあり、ときどき製品が余る。自分たちが需給の調整弁を果たしているはずなのに、できていなかった。これは、「採算重視」の信条からして、見過ごすわけにはいかない。
本社の同じ階で数メートルしか離れていないところに、原油の調達、石油精製、そして経理の部門があった。それらの副部長や副室長たちに声をかけ、会議室に集まってもらう。
「何でもかんでも、機械的に生産するだけでは能がない。もっと厳密な調達・生産計画にして、もし足らなくなったときはよそから買うように変えようや。余ったときには、よそに売ろうじゃないか」と切り出した。
原油調達部門の副部長が「買い付けの量をあまり絞ってしまうと、急に増量したい状況になっても、難しくなる」と渋る。すぐに、議論を吹っかけた。「そういうときは、スポットの取引で買ってくればいい」。すると、「スポットは、高くつく」と反論した。だが、「少しくらい高くついても、過剰生産になるよりはいいはずだ」と押し返す。経理部門の副室長に意見を聞くと、そのほうが採算はよくなると言う。内々に、計算しておいてもらっていた。
当時、金属の事業が芳しくなく、売上高の7割を占めるまでになっていた石油事業で稼がないと、会社の利益は出なかった。でも、原油価格の決定権は産油国が支配していたから、自分たちの力で調達コストを下げることは無理だった。一方、共石へ渡す製品の価格を上げることも、難しい。共石は、いくつもの石油会社の製品を扱っていて、価格が高くなれば他社から買ってしまう。
道は、やはり、無駄が出ないように需要を考えてつくるしかない。答えが出て、3人の副部長や副室長も納得する。以来、問題があれば、声をかけ合い、会議室や応接室に集まって議論した。たまに、仕事帰りに盃も傾けた。自然に、組織の「縦割り」の壁が消えていく。4人の年齢差は上下2歳。のちに「副の会」と命名し、いまでも食事をしている。
大学時代から、議論好きだった。思い浮かんだ疑問点を、相手にポンポンと投げる。会社の部下たちも、頷く。意見をぶつけ合っていくなかで、解決策を探るのだ。自分の意見に自信を持っていても、相手の言うことに「なるほど」と思えば、ころっ、と変える。ずっと以前からそう考えていたごとく、確信的に語る。君子豹変、それも高萩流だ。
2000年の新春、取締役・常務執行役員で、経営企画部門のトップにいるときだった。社内報が「部門長からのメッセージ」を特集した。自分以外の8人は、部下たちを励まし、鼓舞するように、オーソドックスに抱負を語っていた。でも、あえて、厳しい言葉を筆にする。
日本経済の低迷が続くなか、事業の「選択と集中」を進める際に出る社内の甘さを指摘した。何事も、計画の是非を決めるときには細かなことまでチェックをするが、ひとたび承認すると、結果についてはあまり問わない、という傾向だ。儲からなかった場合でも、「市場環境が悪かった」などと他のせいにして、誰も責任をとらない。それは、多くの会社にもあることだろうが、これも見過ごせない。社内報に「入口に厳しく、出口に甘い」と書き、結果責任の検証をするように呼びかけた。