79歳になっても、手を動かして働き続ける理由

塩原の人生に大きな転機が訪れたのは1983年、夫の会社が携帯電話の部品の製作に乗り出した時である。大手の通信機器メーカーに納品する部品の製作をどうしても手伝ってほしいと、夫から頼み込まれた。それから約9年、塩原は自宅の一部を改装して作業場に作りかえ、友人15人を集めて夫の会社の仕事を請け負った。

「試作品がOKになると、部品の貼り付け作業が発生するんです。ちょうど内職仕事が少なくなった時代だったから、みなさん喜んでくれたんですよ」

部品が仕上がると梱包して、大手メーカー宛てに毎日発送する。その一切を塩原が取り仕切った。

「忙しかったですけれど、歩合制だったので、みなさん夢中で仕事をしてくれました」

実家のブレーキ工場の仕事と、この部品づくりの仕事。働き手の人数も似ているし、やたらと忙しかったという点でも似ている。仕事内容は正確にはわからないが、おそらく手を使い、体を使い、理屈ではなくあうんの呼吸で進んでいく仕事だったのではないか。

撮影=小野さやか

塩原は、一条会病院の厨房で若い人に伍して体を動かしながら働くことが楽しくて仕方ないと言うのだが、その感覚は、こうした過去の体験によって培われたものかもしれない。もしも、人間が何を「快」と感じるかが若い頃の体験によって規定されるものだとしたら、塩原が79歳という高齢になっても働き続ける理由は――経済的な理由でない以上――手を使い、体を使って忙しく立ち働くことが、彼女に「快」をもたらすものだからではないだろうか。

働き者の塩原は、働き者の両親の下に生まれ、働き者の夫と結婚し、夫亡き後も働き者である。

「3人の子供がみんな『よく働く親だ』って言ってくれて、いまは何でも子供たちがやってくれるんです。私はひとことで言って幸せ。幸せより他にないですね」

仕事中にカッとなったことは、一度もない

夫の会社の仕事を請け負っていた時代、塩原が「胸を張って言える」ことがひとつあった。それは、15人のメンバーとの間でいざこざが一切起きなかったことだ。塩原はこれまでも、いま現在も、仕事仲間と言い争いをしたことが一度もないという。ついでに言えば、夫との関係もしごく円満だった。何か秘訣があるのだろうか。

「余計なことを言わずに、聞き役に回ってあげることですね。旦那さんのことでも何でも、私は聞いてあげるんです。ひとこと言ったためにモメるんじゃ嫌でしょう」

もちろん塩原とて、他の人の仕事のやり方が気になることもあるし、夫に対しても言いたいことがなかったわけではない。

「喧嘩になりそうだなと思ったら、自分の方が少し黙って(相手の怒りが)通り過ぎるのを待つんです。言いたいことは収まってから言う。こちらが静かに言えば、相手だって静かに返してきますからね。大切なのは、感情的にならないことですよ。私、仕事の上でカッとなったことって一度もないんですよ」