店内はガラガラなのに「本日、予約でいっぱいです」
実はこの状況にはもう慣れていた。私が受けた「入店拒否」は、この半年で両手に収まらないからだ。この春の緊急事態宣言下で九州各県に赴いた時には、多くの店が「県外者入店拒否」だった。店内はガラガラで、少し遅めの時間帯であったにもかかわらず、「本日、予約でいっぱいです」ととぼけられたこともあった。
もっとも、店の扉に「他県からのお客様はご利用できません」などと書かれた貼り紙があるのが常。そうした店にはあえて入らないが、貼り紙をしていなかったり、貼り紙に気づかなかったりして入店した場合、拒否されることもけっこうあるのだ。
当初は「差別された」と不快感がこみ上げてきたものだが、最近では逆に店のことが心配になっている。むげに断っては客とトラブルに発展して、飲食店の予約サイトでどう評価され、何を書かれるかわからない。
9月の4連休(シルバーウイーク)、全国の行楽地はかつてない人出だった。政府が打ち出したGo To トラベルキャンペーンの影響だろう。私が住んでいる京都・嵐山周辺も、恐ろしいほど人でごった返した。ただし、外国人の姿はまばら。かつて、日本人旅行者ばかりだったバブル期の嵐山を見るようであった。京都では、「府外お断り」という看板を掲げる店はほとんど見かけない。
ある東山の料理店では、「光触媒除菌」などをうたった空気清浄機を目立つ場所に置き、安全対策をアピールしていた。実際にどれだけの効果があるかどうかはともかく、なんとなく安心感がある。コロナ禍では、不安心理をいかに払拭するかが肝要だ。
「地域の目が怖い」大都市圏からの一見客はメリット小、リスク大
観光都市と、そうではない地方都市との店では対応が分かれているように感じる。観光都市の店ではGo To トラベルキャンペーンに乗らない手はない。
一方で普段、地元の常連客メインに相手にしている地方都市の場合、大都市圏からの「一見客」を受け入れるのは、「メリット小、リスク大」なのだろう。
地方都市には「ムラ社会の目」がある。他の店が受け入れていないのに、自分の店だけ観光客を歓迎してしまうと、村八分になりかねないからだ。たとえば「寄り合い」などの地域コミュニティが残っている地域では、独自の判断で営業を続けることは地域社会に対する挑戦、ともとらえられかねない。ある意味、「互助の精神」とも言い換えられる。これは、古くはムラの農耕や信仰を同じにする「講」などが基盤にある。
コロナ感染症の蔓延や一時の売り上げより、地域社会の目のほうがよほど怖いのだ。