――コロナ禍の影響で倒産やリストラが急増しているという報道もよく見ます。追い詰められ、なにか依って立つようなものを求める人は多い気がするんですが。

【五木】宗教は、そういう人の不安を癒すためにあるものじゃないですか。ブッダは、不安な世界にどう生きるかという安心の道を語ったわけです。そういうふうに考えると、本当は今こそ宗教家の出番ですよね。でもなかなかその動きは見えません。これは本当に、コロナの時代の七不思議の一つです。

撮影=尾藤能暢
作家 五木寛之氏

努力したって報われないことは山ほどある

――『大河の一滴』には「現実にはプラス思考だけでは救われない世界があります」という一節があります。こういう核心を突いた言葉に、励まされた人も多いんじゃないでしょうか。

【五木】この本が刊行されたときの帯の文句は「もう覚悟をきめるしかない。」でした。僕は世の中のことに、すごくネガティブなんです。人間の世界というのは、間違ったことしか通らない。「善き者は逝く」という言葉が常に頭に残り続けているんですが、善良で誠実な人たちは先に逝ってしまう。生き残るのはしぶとい人間だけだ。世の中はそういう矛盾したことに満ちているわけです。

学生生活、仕事、恋愛、結婚もすべて大変で苦しくて、葛藤の連続じゃないか。僕はそういうふうに物事を見ているから、「五木は暗い」としょっちゅう言われていました。でもそうやって最低の状況から考えると、つらいことがあっても落胆しなくなるんです。その中で、思いがけず親切な人に会ったり、いいことがあったら思いきり感激すればいい。昔から「やっぱり人生はすばらしい」という考えは持っていないんです。今夜寝るところがあって、とにかく夕飯を食べられたらそれでいいんじゃないかという覚悟はありますね。

僕は昭和27年に、本当に何のあてもなく東京へ来たんです。夜、寝るところすら決まっていない。大学の文学部の入り口の石段のところで、雨露をしのげそうなところがあったから、ここで野営しようと思ったら、夜警の人に追い出されてね。学生証を見せてもダメでした。その晩は穴八幡宮という神社の床下に潜り込みました。お祭りの幔幕や何かを積み上げてるところで、何日か寝ましたね。でも、それをつらいとも苦しいとも思わなかった。今日寝るところがあってよかったと。ホームレス大学生だった。

――多くを期待しないことが大事なんでしょうか。

【五木】人生は矛盾だらけですから。たとえば、努力したって報われないことは山ほどあります。それを覚悟したうえで努力をすれば、報われなくても落ち込みません。