迷走を繰り返す“すかいらーく”案件

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08年3Qは3429億の赤字

リーマン買収の狂騒劇の陰で、ある一幕があった。各部門の報告の一つに06年にMBO(経営陣による企業買収)によって株式を非上場化し、事業再建に乗り出した外食大手“すかいらーく”の一件だ。このMBOは、野村プリンシパル・ファイナンスと英国系投資ファンドであるCVCキャピタルパートナーズが出資するSPC(特定目的会社)が株式を買い取る仕組みで、買収総額は2700億円と国内最大のMBO案件で、野村が自己資金を投じることでも注目された。

しかし、野村の名を高めるはずだったこの大型案件は迷走を繰り返す。一旦経営から身を引くも、社長に返り咲いていた横川竟が、野村の意向によって解任される騒動に至る。野村は威信が失墜しただけでなく、実質的な損失も被った。08年度第1四半期においてプライベート・エクイティ投資先関連でおよそ400億円の税引前損失を出しているが、これには少なからず「すかいらーく」株の評価損が含まれている。

横川の解任劇はリーマン買収のわずか1カ月あまり前の出来事でしかない生々しい傷だ。しかし、報告する幹部にその意識はなかった。事業再建に向けて努力していることを伝えた幹部は、こう付け加えた。「利益を上げるためにも(野村)グループに配られている、すかいらーくの割引券は使わないでほしい」。

この発言に会場から笑い声が漏れた。だが幹部を叱責する声、非難めいた声はなかった。すかいらーくの責任を取る野村の人間は一体誰なのだろうか。

野村グループとすかいらーくとの関係は古い。古風な言い方をするなら戦友である。両社の信頼関係を築いたのは、野村証券中興の祖“大タブ”田渕節也である。その全盛時代、東京・赤坂の料亭では毎年、田渕主催の宴席が設けられた。出席者は大蔵省(現財務省)歴代の事務次官経験者、現役幹部。この歴代事務次官が上座に並ぶ風景は壮観だった。下足番は現役の大蔵省証券課長が務めた。

こうして大蔵省と太い人脈を築く一方、田渕は伸び盛りの若い経営者たちの面倒を見ることも厭わなかった。

「将来の野村の大切なお客さんだ」

大川功(故人)をはじめとして“田渕学校”に集まった若き経営者の一人に、すかいらーく社長、茅野亮がいた。78年の店頭公開、続く82年の東証一部への株式公開と、すかいらーくと野村は二人三脚で歩んできた。野村証券にとって、企業を育てることは株式公開時の主幹事証券になることだけではない。社債の発行、CP(コマーシャルペーパー)発行など、一粒の種は何度も野村証券に美しい花、つまり利益をもたらす宝の山となるのだ。田渕が“大切なお客さん”と呼ぶのも当然である。(文中敬称略)