「昭和時代の方が良かった」とは言えない

ここまでお読みになって、動物としての人間を疎外するコミュニケーションは良くない、動物性を取り戻せ、と思った人もいるかもしれません。もちろん私も、ある程度はそう思っていますし、個人的には、新型コロナウイルスの感染がおさまってからも「新しい生活様式」を続けることには抵抗感を持っています。

ただ、動物としての人間の性質が疎外されるのは、今に始まったことではなく、それによってストレスや生きづらさだけがもたらされたわけでもありません。公正を期するために、そのことについても触れておきたいと思います。

さきほど私は、平成から令和にかけて、日本の公共交通機関やオフィスがどんどん静かになっていったと書きましたが、実際、昭和時代の日本社会はもっと騒々しくて雑然としたものでした。人々はインターネットにも頼っておらず、もっとあちこちに集まって、もっと身体的にコミュニケーションをしていました。

そう言えば聞こえがいいですが、そのかわり体罰のたぐいが横行し、男性が女性に暴力を加える・喧嘩の強い者が弱い者を屈服させることも多かったのが昭和以前のコミュニケーションでした。

近代以前の生活習慣はとても“野蛮”だった

近代以前にまで遡れば、そこは昭和時代よりも野蛮でバイオレンスな世界です。腕力や暴力がコミュニケーションの一部としてカジュアルに用いられ、ちょっとした喧嘩が命のやりとりに発展することもありました。近代以前の人々のコミュニケーションは動物としての人間により忠実だったとは言えますが、だからといってストレスや生きづらさが無かったとは到底言えません。

清潔さや快適さという点でも、近代以前の人々の暮らしはひどいものでした。手で食べ物を掴む、ひとつのグラスで酒を回し飲みする、人前でも平気で用便をする、唾や痰をどこにでも吐き散らす……といった生活習慣が当たり前でしたから、飛沫感染などのリスクなどは現代と比較にもなりません。ヨーロッパでは、数百年をかけてテーブルマナーをはじめとする礼儀作法が浸透していき、こうした“野蛮な”生活習慣が少しずつ改善していきました。こうした変化は、それまでの動物的なコミュニケーションから離れていくものではありましたが、コミュニケーションを円滑にするという意味でも、安全や衛生を守るという点でも望ましいものでした。

動物としての人間から、礼儀作法を守った、よりバイオレンスではない人間へ。

そして野蛮で不健康な社会から、健康的で清潔で道徳的な秩序ある社会へ。