新聞のスクープがスキャンダルと化した「西山事件」

その前に、週刊誌報道で、流れがガラッと変わった事例を2つ紹介してみたい。

1971年に起きた「西山事件」を覚えている方はいるだろうか。佐藤栄作首相時代に「沖縄返還」がなされた。だがこの交渉の中で、数々のアメリカ側に有利な「密約」が結ばれたのだが、政府は密約などないとシラを切り続けていた。

そんな中、アメリカが支払う地権者に対する土地原状回復費を、秘密裏に日本政府が肩代わりして支払うという密約公電を、毎日新聞政治部の西山太吉記者がスクープしたのである。

佐藤政権を崩壊させかねない大スクープだった。野党は責めたて、新聞はこぞって知る権利を高々と掲げ、それでも密約を否定する政府に、国民の怒りは燃え上がった。そこに1本の記事が週刊新潮に掲載され、流れが変わってしまったのである。新潮は、西山記者が外務省の女性事務官と「情を通じて」、情報を取ったと報じたのである。国民の知る権利が男女のスキャンダルにすり替わってしまったのである。政権側からのリークであった。

それを機に、各紙は潮が引くように退いていき、毎日は謝罪文を出した。今でも「新聞が敗れた日」として記憶されている。

なぜテレビや新聞ではなく、週刊誌なのか

もう一つは、2000年4月に小渕恵三首相が突然、脳梗塞で倒れたときのことである。入院した後、小渕から指名されたという青木幹雄首相臨時代理が、野中広務ら4人と計り、密室で後継を森喜朗に決めてしまった。メディアや野党は、小渕は指名ができる状態だったのかをいぶかったが、5人組は、そのまま押し切ってしまったのだ。

小渕はその1カ月後に亡くなる。その少し後に、フライデーが「小渕の病室」とタイトルをつけ、全身が管に繋がれている小渕の病室でのスナップ写真を公開したのである。小渕が倒れた直後から、後継指名はおろか、何もできる状態ではなかったことが一目瞭然だった。

フライデーがこの写真をどこから入手したのか、私は知らない。推測するに、後継者選びが真っ当に行われなかったことに憤っている人間が提供したのであろう。1葉の写真が、森は正統性のない手順で選ばれたことを雄弁に物語っていた。森は在任中、「サメの脳、ノミの心臓」と揶揄され、国民の信頼を得ることはできなかった。

このように、情報をリークする人間には必ず思惑がある。それならば、影響力のある大新聞やテレビに流せばいいと思うかもしれない。だが、テレビは臆病だし、新聞はかなりの確証を掴まない限り書いてはくれない。出れば大きな反響もあるが、犯人探しも徹底的にやられる。