私たちは、何と闘っているのか

「玄関先に“中傷”するビラ 青森の実家に帰省」といった報道(※1)がなされ、札幌ナンバーが北海道の他地域で忌避されるという話を、親戚や出張されている方から伺いました。「相互監視と嫌がらせ」は、どんどん自分の心を貧しく卑しくするだけです。メディアが植え付けた恐怖による過剰防衛を和らげる必要性を痛感しています。

森の新鮮な緑
写真=iStock.com/SB
※写真はイメージです

松江のサッカー部のクラスターでは、校長先生が謝罪会見をしました(※2)。そもそも完全に防衛などできないウイルス性疾患では謝罪は不要で、対応すれば済む話です。新型インフルエンザで学級閉鎖になっても、校長先生は頭を下げたりしません。

コロナウイルス災害による、旅客運送業のバス会社の苦闘が再放送されていました(※3)。私は、複雑な気持ちで番組を拝見していました。一つは、ひたむきに仕事を存続させ雇用を守ろうとする社長と社員さんに対する共感。もう一つは、「私たちは何と闘っているのか」という疑問でした。

国民同士がパニックになって狭い範囲でいがみ合うことは判断を誤り自滅につながります。日本は、コロナ被害が少なかった数少ない国として世界の連帯を再構築する立役者になり、これからの新しい世界の形を作っていくべきです。進路を誤らないようにしましょう。

コロナで「自己責任」は間違っている

私たちは、自分のことは自分でするように育てられます。自己責任という便利な言葉もあります。でも、トレーニングの意味を持たない「運動部のしごき」を強要されてケガをしても「自己責任」なのでしょうか。部活動のように国民全員の連帯責任と言われて、逃げられない状況にさせる方法論も誤りです。

私は、コラムでメディアがどのような方法で私たちに恐怖を上手に与え、不安を継続させてきたかお伝えしてきました。それは、私たち全員が持っている、人間としての心のバイアスをうまく利用したものでした(※4、※5、※6)。よくわからない補助金もたくさん使われました。

新型コロナウイルスで東京に数百人、日本で千人程度の人が陽性になったと報道されても街中を肺炎の人を運ぶ救急車であふれることはありません。倍でも一緒です。勘の良い方なら皆うすうす感じていたように、状況は最初から日本は日本のコロナを考えればよかったのです(※7)

メディアやコメンテーターがさかんに喧伝したことと、現実世界のファクトの乖離はご覧の通りです。このままでは日本が新しい世界構図の構築に貢献するビジョンを阻害し、大きなブレーキになっている点は看過できない問題点です。