「複数の医師が議論する番組」がない
コメンテーターが無責任に好き勝手に発言を繰り返すTVプログラムはあっても、様々な医療者が責任を持って国民の未来について建設的な激論を円卓で戦わせる映像を見たことがありますか?
面白いことに、一つの番組に専門家として登場する医師は、番組の趣旨に沿った1名だけの場合がほとんどです。異なる意見の複数医師が隣り合わすことはありません。皆さんも不思議に思いませんか?
ガン治療の際、その人の命がもちろん一番ですが、仕事や家族の事も考えて相談して治療方法を決めます。良い医師は「病気を見て人を見ず」なんてことはしません。患者さんのためを思って異なる意見の医師たちが、治療方法について議論を戦わすことが日常風景です。考え方の多様性がリスクを減らすからです。
全体主義と相互監視の恐怖を感じる
私は、コロナウイルスの見方に多様性が無い状況を危惧していました。
未知のウイルスなので、世の中に詳しい人は1人もいない。だから、とりあえずよく知っている専門家の意見にツベコベいわず従いましょう、守らない人がいると感染が増えるから相互監視も強化しましょう、そういうことだったと思います。自粛警察もマスク警察も、他県ナンバー狩りも、感染者の家への投石も根っこは一緒です。他の医療者が黙ってしまい過剰防衛したのもそのためかもしれません。
私は、ウイルス自体にはではなく全体主義(※15)と相互監視強化の恐怖を感じていました。この二つは、ユートピアと反対の絶望的な社会ディストピア(※16)の源泉です。映画『1984』や『未来世紀ブラジル』などで、繰り返し描かれているのでご存知の方も多いでしょう。
ウイルス自体による影響は、11年前のブログの状況とほとんど変わりません。異なっているのは、メディアの手法などが洗練されたことです。人間の心理バイアスを巧妙に利用しています(※4、※5、※6)。実際は新型インフルと共通の点が多かったにもかかわらず、絶望を与えるディストピア化をどのように後押しされたのか学ぶことが重要です。