人間が等しく生きる、だれもが尊重される社会を築くために、先人が多くの思想を残してきた、それは教養知、学問知と言ってもいい。

そういう意味で、大学という知の最先端の場では、「多様性の尊重」とは相容れないとされるミスコン開催は、問われることになるだろう。実際、海外の大学でミスコン開催は少ない。たとえば、「ミス・ハーバード」「ミス・ケンブリッジ」などは聞いたことがない。

今こそ大学の矜持を示すべき

もう、大学ミスコンはやめるべきではないか。

小林哲夫『女子学生はどう闘ってきたのか』(サイゾー)

大学がアカデミズムという自覚を持ちたければ、「多様性の尊重」を追求するために。

慶應義塾大はこう掲げている。「自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行うことを意味する、慶應義塾の基本精神です」(大学ウェブサイト)。ならば、「自他の尊厳を守」るためにも。諸外国から非難されたので大学ミスコンをやめる、などという、外圧に弱い日本らしい、恥ずかしい思いをしないよう、大学は考えてほしい。

ミスコン廃止について、「ひがみはないか」「たかがコンテストなのに」「女性が出たいといっているのに」「美人を評価して何が悪い」などという意見に、大学あるいは学生が理路整然と答えていく。それが大学の矜持だと思う。

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