子どもにつける「ハーネス」が持つ2つの意味

こんな具合に、秩序の行き届いた現代社会において子どもはリスクを想起させる存在であり続ける。放し飼いの動物が、いつ道路に飛び出してきたり他人に迷惑をかけたりするかわからないのと同じように、まだ秩序を知らない子どもや学習途上の子どもも、いつ道路に飛び出して他人に迷惑をかけたりするかわかったものではない。

その延長線上として、子ども、とりわけ小さな子どもが一人で街にいるだけで私たちは不安になるようにもなっている。子どもが迷惑なことをするかもしれないから不安というだけではなく、その子に何かあったら不安という部分でも、“放し飼いの子ども”はリスクを想起させる存在だ。

最近の親が、子ども、とりわけ小さな子どもを連れ歩く際には絶対に離れようとせず、時にはハーネスをつけることもあるのは、そういった観点からも理解しやすい。子どもにつけたハーネスは、子どもの安全を守り、親の安心を守ると同時に、子どもが想起させるリスク、不安、迷惑といったものを最小化することを他者に示すシグナルとしても機能している。

「リスク回避」で自縄自縛になっていないか

現代の親は、子どもの安全を守るだけでなく、街の大人たちにできるだけ迷惑をかけず、できるだけリスクを想起させないよう注意しながら子育てをやり遂げなければならない。現代社会の通念や習慣は、そうするよう親に強いてやまない。

熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)

私たちにとって“リスクは回避しなければならない”という考えは当たり前のものになっているし、それはそれで必要な考え方には違いない。しかし、こと子育てに関しては、リスクという考え方のゆえに親も子どもも、いやそれ以外の人々も神経質にならざるを得なくなっている。

リスクを回避するという考え方によって私たちは多くの危険を回避できるようになったが、その一方で、まさにその考え方によって自縄自縛に陥っている側面も、あるのではないだろうか。

 
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