なぜ、「いい応援歌」は必要なのか

「エール」の中で、応援部団長役の三浦貴大が、窪田正孝扮する古山裕一(古関裕而)に、慶応に勝つためにはいい応援歌が必要だと訴える。確かに自分の経験に照らしても、選手は応援によって勇気づけられる。箱根駅伝の場合、早稲田の応援部は往路、復路とも、スタートとゴールで応援する。それ以外の場所は、地元の稲門会の人たちがやってくる。筆者は3年のときは3区、4年のときは8区だった。8区を走ったときは、雨まじりの風が正面から吹き付けてくる悪コンディションで、しかも7、8kmのところから右脇腹に腹痛を起こしてしまい、非常に苦しいレースだった。15kmを過ぎたとき、大手町に戻る応援部員たちがマイクロバスの窓から身を乗り出すようにして「頑張れー!」「うおーっ!」と声をかけてくれたときは、本当にうれしかった。

写真提供=報知新聞社
1980年1月3日、大学4年生の筆者が箱根駅伝8区を走る様子

2つの歌は両校の奮起で「伝統」となった

駅伝のようにチームの命運が選手一人ひとりにもろにかかってくる競技は、孤独感も強く、応援は心に染みる。走り終えて大手町に戻ると、ゴール付近で早稲田の応援部員たちが勢ぞろいし、にぎやかに「紺碧の空」を演奏していた。沿道を埋め尽くした人々の間から拍手と歓声が湧き起こり、早稲田のアンカーがアスファルトの道に姿を現し、25年ぶりの3位入賞のテープを切った。

あれから40年後の今年の箱根駅伝でも、駒沢大学を1秒かわして7位にすべり込んだ3年生の宍倉選手を迎えたのは、応援部が奏でる「紺碧の空」だった。

「紺碧の空」は、慶応という尊敬すべきライバルを得て、応援部員と運動部員と応援の人々が一体となり、89年の長きにわたって育んだ曲だ。歌は歌い継がれることで力を増す。「紺碧の空」は、もはや単なる応援歌ではなく、早稲田のスポーツシーンを象徴する「伝統」であり、欠くべからざる存在になった。そしてまた、慶応の「若き血」も、早稲田の奮起があってこそ、今も歌い継がれているのだろう。

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