危機管理を他国に預けてきた日本の戦後政治の弱点
自立心のない安全保障観は、アメリカと組んでさえいれば大丈夫という誤った信念を生む。つまり北朝鮮のミサイル対応や尖閣沖の中国船に強く出られるのも、「いざとなったらアメリカがやってくれる」と思うからで、その状態を保つこと、アメリカの要請に応えられる状態を保つことが日本における危機管理の柱になってしまったのである。
だがこれは安倍総理ひとりの責任ではもちろんない。「護憲・反基地」の革新と、「改憲・日米同盟礼賛」の保守の議論がデッドロック状態に陥ったことも一因であり、その点で日本の対米依存は保革の合作と言える。
新型コロナには現場の力で何とか対処しているものの、政府の危機管理は右往左往して腰が定まらない。北朝鮮のミサイルが「国難」と位置付けられたときのような「闘う姿勢」が感じられないのは、危機管理を他国に預けてきた日本の戦後政治の弱点が露呈したからであり、危機管理に強いと言われてきた安倍政権も例外ではなかったということだ。
4月7日の会見で、安倍総理は「最も恐れるべきは、恐怖それ自体です」と述べた。聞いたときにも妙に詩的だと違和感を持ったが、のちの情報によればこれはフランクリン・ローズヴェルトの大統領就任演説の一節だという。「戦後最大の危機」を迎えるこうしたときに、全国民に語り掛けるここ一番の演説で、借り物の言葉、それも他所の国の歴史から拝借した言葉に“乗っかる”とは。
この事実が安倍政権の本質を象徴しているといったら言い過ぎだろうか。