「撤兵も考えざるべからざるも、決しかねるところなり」

だが、翌8日、東条陸相は及川海相に、「支那事変にて数万の生霊を失い、みすみすこれ[中国]を去るは何とも忍びず。ただし、日米戦とならばさらに数万の人員を失うことを思えば、撤兵も考えざるべからざるも、決しかねるところなり」、と述べている。

岡敬純海軍軍務局長のメモでは、「陸相は最後撤兵問題のみにて対米交渉がまとまるならば、[撤兵を]考慮する意志を表明せらる」、となっている。東条も近衛には強く撤兵を拒否しながらも、なお動揺していたといえる。

このように、武藤のみならず、東条もまた、交渉の最終段階では全面撤兵も考慮せざるをえないのではないかと迷いを示していた。

政権中枢の近衛首相、東条陸相、及川海相は、個別に会談を続けた。近衛と及川はそれぞれ交渉継続の観点から、駐兵問題での陸軍の譲歩を求めたが、結局東条は譲らなかった。

対米強硬論を公言していた東条陸相の迷い、動揺

ただ東条も、海軍が対米戦の自信がなければ、9月6日御前会議決定を再検討する必要があるのではないかと考えはじめていた。

御前会議の決定を尊重すべきとの基本的態度だったが、海軍に自信がないなら、御前会議決定を白紙に戻し、責任者は全て辞職すべきだ、とも述べていた。また撤兵についても動揺しはじめていた。

及川海相は、前述のように、近衛首相が自身の決意で、政局を交渉継続、撤兵の方向にリードしてもらいたい。場合によっては米側提案を丸呑みする覚悟で進んでもらいたい、と要請していた。

そして、首相が覚悟を決めて邁進まうしんするならば、それに海軍は全面的に協力する、との意向を近衛に伝えていた。及川も海軍のみの判断によって戦争回避の全責任を負うことはできなかったのである。

天皇最側近から近衛首相へのアドバイス

10月9日、事態が緊迫するなかで、木戸は近衛に次のようにアドバイスしている。

川田稔『木戸幸一』(文春新書)

御前会議の決定は、「いささか唐突にして、議の熟せざるものあるや」に思う。内外の情勢から判断するに、「対米戦の結論」は「再検討」を要する。この際は対米開戦を決意することなく、むしろ「支那事変の完遂」を第一義とすべきである。

アメリカに対しては、「自主的立場」を堅持するため、10年ないし15年の「臥薪嘗胆がしんしょうたん」によって、「高度国防国家の樹立、国力の培養」に専念努力すべきである。

「支那事変完遂」のためには、「交戦権の発動」(宣戦布告)も辞さず、陸軍動員により重慶、昆明等にも作戦を敢行し、「独力実力」をもって解決する決意が必要である、と。

これは、8月7日の近衛への意見と同方向のものだが、9月6日御前会議決定を再検討すべきことが主眼となっている。他には、日中戦争の軍事的解決を強調していることが注意を引く。