おれから野球をとったら何もない

振り返れば、おれ引く野球はゼロ。おれから野球をとったら何もない。なぜここまで野球ができたか。それはおふくろを楽にしてやりたいという一心を持ち続けたから。小さな町で5回も引っ越したんだ。家賃が高くなりゃかわって、かわって、よその2階住まいもしたことがあった。

プロ野球で活躍できて、やっと母が楽になったと思ったころに病気だわね。あんな不幸な人生ってないと思うんだよね。短い人生だったんだよ。

そしておれも、3年前に最愛のサッチーを亡くして、寂しくなってしまった。生まれ変わっても、もう1度サッチーと結婚したい。でもな、子どもに野球はさせないかな。

3人子どもがいるけど、3人とも足が遅い。半端じゃなく遅い。運動神経なし。間違いなく男の子は母親に似る。克則、おまえもサッチーに似てしまって、どんそくだな。

克則には本当に辛い思いをさせてしまったと思う。何をやっても父親と比べられてしまって。おれはどうにかして克則を助けたかったけど、どうしたらいいかわからなかった。許してくれるだろうか。

でも、選手として克則は駄目だったかもしれないが、コーチとしてはいい。克則がコーチになるってとき、おれは最初反対したんだよ。おまえには無理だと。母親にそっくりで鈍いし。

でも克則はおれと違って、人柄がいいから。その性格はサッチーから譲り受けたのだろうか……。リーダーシップがとれているように見える。

朝日新聞社/時事通信フォト=写真

おれは、克則を突き放したんだ。高校、大学の7年間。克則は寮生活をした。それがよかったのだろうか。学生野球は規則、規則でうるさいから。そういう規則で雁字搦めの世界に入り、人に育ててもらった。人間的に好かれる人物になった。

もし監督経験者として克則にアドバイスするなら、目だ。目だよな。目を養ってほしい。選手のどこを見るかだよ。いいコーチになってくれ。

(聞き手、構成=プレジデント編集部(鈴木聖也) 撮影=村上庄吾 写真=朝日新聞社/時事通信フォト)
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